『〈非―知〉工場』 牧野修

『〈非―知〉工場』 牧野修

 (『異形コレクションⅣ 悪魔の発明』井上雅彦監修 廣済堂文庫、『忌まわしい匣(はこ)』牧野修 集英社文庫 所収)

 ―― 「あれらの中央に金属の筒がありますね」
 五つの水槽の中心部に、銀色のアルミの魔法瓶のような筒があった。ただし直径は三メートル、高さは五メートルほどある。
「あの中には五万匹の蠅が入れられています。こちらに来てください」 ――


 異形コレクションには『悪魔の発明』よりずっと後に『心霊理論』という巻があるのだが、この『〈非―知〉工場』という作品は完全にそのテーマを先取りしていた。
 一般的に、心霊の実在や現象についての理論的な話は、怪異譚と同じぐらい面白い。もちろん私は、怪しげな「心霊研究家」の文章のことではなく、もっともらしいフィクションの理論のことを言っている。
 書き手がある程度、オカルトや疑似科学に関する議論、現代哲学における科学主義の立場について分かっていて、その上で、上手にフィクショナルな心霊理論をでっち上げているのを見かけると、とても面白いと思う。

 だが、この「面白い」が曲者で、これが「怖い」に勝ってしまっては、ホラー作品としては本末転倒になってしまう。
 だから私がストーリーを考える時も、どうしても、「幽霊なるもの、あるいは人外の存在が幅を利かす、架空の世界」を説明なしに設定した上で、話を書き切ってしまうことが多い。
 ホラーを書くってそういうことだろ、と言われれば、そうなんだろうけど。

 しかし、牧野修氏はこの作品を、徹頭徹尾、怖い話として書き切っている。「怖い」が「面白い」と両立し、やや勝っている。
 その方法論は、読めば分かるが、グロと陰惨と不気味、ドス黒い雨雲のような色調で作品全体を埋め尽くし統一するという手法。
 筆力がないと、真似ようとて容易に真似られるものではないが、こんな無骨な手法がここまで効果的に用いられているのが、素晴らしい。

 そして、この作品には、もう一つ特筆すべき点がある。本稿最初から、心霊、オカルト理論についての話、というホラーのサブジャンルについて書いているが、この作品は、そのサブジャンルの純血種といってよい。
 なんとなれば、この作品には起承転結が無い(!)のである。
 主人公である科学ライター毛利が、謎の男から謎の理論の説明を受ける、本当にそれだけの話だ。
 読み直した時、このことに気づいて、杉崎はかなり驚きました。
 ……あなたが信じるかどうかは自由です。でも、ストーリーが無いのに傑作としか言えない作品って、実在するのです。