『荒墟(あれつか)』 朝松健

『荒墟(あれつか)』 朝松健

 (『異形コレクションⅩⅩⅡ 恐怖症』井上雅彦監修 光文社文庫 所収)

 ――「何処だ。貴様は何処にいる。『深淵』を渡るすべは何処にある。どこに隠してある」 ――


 異形コレクションでは闇の一休シリーズでおなじみ、朝松健氏。しかし本作は足利将軍の話。
 同じく異形コレクションの『未来妖怪』の巻に、氏の『ぬっへっほふ』という大作があり、これまた凄いのだが、ちょっとホラー短編というには壮大すぎ、連作短編というには、各章が完全に独立しているわけでもない。

 一方この本作、主人公は『ぬっへほふ』にも登場した、室町幕府六代将軍足利義教(よしのり)。
 完全創作に近い一休シリーズとは異なり、本格的な歴史小説として、史実にのっとり足利義教の生涯を追う。
 だが当然、義教の内面造形は、心の声は、朝松氏の想像と創造の産物であり、この出来が作品の価値を左右する。
 そもそも実在の残虐無比の暴君ネタ、というのは洋の東西を問わず面白いに決まっているが、問題は、その暴君キャラクターをどのように描くのか、という点。
 もっとはっきり言うと、どれだけ魅力的に描けるか、が勝負である。
 (そして、私の好みを言えば、必要な内容は全て提示した上で、どれだけコンパクトな分量で書けるか、という点も大事。
 その簡潔さ、無駄の無さだけをもってしても、この作品は一級品である。)

 歴史小説から一歩離れ、ホラーストーリーについての一般論めくが、極悪主人公の魅力とは、感情移入の問題とはほとんど何の関係もない。

 内面描写の説得力、そして話全体を貫く美学なのだ。

 この作品は、タイトルからしてかっこいい。文体からしてかっこいい。
 そして言うまでもなく、義教の血塗られた生涯と、その動機となる特異な内面の描き方が、とてつもなくかっこいい。
 「深淵」というキーワードが、でしゃばりすぎることなく非常に巧く機能している。
 冷え冷えと冴え渡った厳冬の未明の空気のような、硬質な、非情なムードが最後まで徹底されていて、ブレがない。

 義教が比叡山に置かれていた頃の、少年僧との「深淵」探求の場面、そしてクライマックスの、義教が襲撃を受ける場面。
 この二カ所で、ここぞとばかりに朝松氏の筆は冴えまくる。
 元ネタへの味付けという作業の中で、俗なエンタメ方向に筆が一切滑らなかったのが、この作品の勝因であると思う。