『マッチ売りの少女』 野坂昭如

『マッチ売りの少女』 野坂昭如

 (『受胎旅行』野坂昭如 新潮文庫、『恐怖の森』 阿刀田高編 福武文庫 他 所収)

 ―― ドヤ街を抜けて、三角公園の、まばらに生える木立の根方に、お安はしょんぼりと立ち、その姿、まるで何年も住みついたお化けのように、形がきまった。 ――

 杉崎はこれまでどんなものを読んできたのか、思い出そうと本棚を見る。
 「阿刀田高 編」のホラーアンソロジーを何冊も何冊も手に取って、ああ、これだこれだ、となったのが『恐怖の森』。
 とにかく収録作品が濃い。既に紹介済みの半村良『箪笥』、岡本綺堂『くろん坊』も収録されているし、他に武田泰淳『ひかりごけ』、乱歩『芋虫』なんてのもある。
 この本はどうも、ホラー作家ではない、あるいはホラー専業ではない巨匠の、とっておきの怖い話、厭な話といった感じでチョイスの縛りを設けているように見える。
 
 純文学とホラー作品ってどう違うの? などというジャンル論は私のような無知には手に余るし、簡単に数行で語れるような話でもないだろう。
 だが、乱暴に言えば、ホラーとはエンタメ作品であって、うぎゃあ、怖い!と愉しみ、時には、なんて救いの無い話だ!とつい笑ってしまったりする、そんな読書態度が許される作品だと思う。
 そういう意味で「面白かった!」と本を閉じるだけではすまされないのが「まっとうな」文学作品で、野坂昭如の悲惨小説群もここに属するのだろう。
 (『火垂るの墓』のアニメ映画の原作は、かなり多くの方が既読かと思うが、野坂昭如には同様の文体、ノリで書かれた膨大な短編群が存在するのです。)

 そういうわけで、この『マッチ売りの少女』も、なんて悲惨な話だ!と笑って済ますわけにはいかない、人間存在の悲哀と性の根源を徹底して見つめた哀しくも美しい文学作品なのだ、と見るのが、妥当な読み方なのだろう。
 未読の方のために書くと、日本がまだ貧しかった時代の、最底辺売春婦のきっつい人生を描いた話です。読むにはちょっと覚悟が必要。

 しかし同時に私は、数ある野坂短編の中でも特にこの作品からは「エンタメとしての厭な話」の匂いも嗅ぎ取ってしまう。
 エクストリームな悲惨さ、厭さをひたすら垂れ流す内容もさることながら、オチの鮮やかさ、意外性、そして後味の悪さが見事です。
 それにしても、体言止めで終わる小説って凄いな。

 このオチが無ければ、ちょっとこのブログで紹介するタイプの作品とは違うかな、という判断に至ったかもしれない。
 でも、ここまでやられれば、乾いた笑いが込み上げてきてもやむなし、って感じだし、それに、多分に作者もそういう反応を期待して書いてるように、私には思えてならない。