『ついてくるもの』 三津田信三
(『異形コレクションⅩLⅤ 憑依』井上雅彦監修 光文社文庫、『ついてくるもの』講談社ノベルス 所収)
―― こんな考えを―いや、妄想だろうか―持つに至ったのは、過去の憑き物信仰を調べた所為(せい)ばかりではない。編集者時代から続けている怪異譚蒐集の中で、明らかに憑き物テーマに分類できる事例なのに、その正体がさっぱり分からない話が増えていることに、ふと気付いたからなのだ。 ――
編者序文で「最も怖い」と言われる、この『憑依』というテーマ。
たしかに、異形コレクションの各巻のうちでも一番怖い巻の一つがこれじゃないか、と私も思う。
ここから二作、ご紹介したい。
共通点は、まずもちろん、とびっきり怖いというのが一つ。
そしてもう一つの共通点は、語り手の超絶的技巧だ。
その一つめが、三津田信三『ついてくるもの』。
冒頭四頁ほどの、三津田氏の怪異譚蒐集家としての、研究者然としたかなり固い前置き、そして本編の怪異譚が続く構成。
この怪異譚そのものは、骨太直球ベタな憑き物怪談というか人形怪談に過ぎない。
この作品の恐怖のキモは、つまり、作者のしてやったりは、実は本編ではなく、前置きの薀蓄(うんちく)の中に、しかもその一番最後に、さりげなく隠されている、と私は考える。
すなわち、私が引用した個所の、<憑き物の正体がさっぱり分からない>という断言である。
この作品の前置き部分は、意地の悪いことに、作者の素朴なコメントであり単なる導入部のように見せかけて、完璧に仕組まれた罠なのである。
仮に、この前置きがないとしたら、それに続く本編、確かに何の真相も暴露されていないのだが、読者は勝手に何らかの補完的解釈というか一人合点を、無意識に行ってしまうだろう。
そしてそれを前提に、話を読み進めてしまうだろう。
「何か、強力な呪いとか恨みを抱いた霊、あるいは呪いや恨みそのものが人形に宿って…、ってことなんだろうなあ」とかなんとか。
だがこの作品の場合、上記の断言によって一撃で、そのような既視的な解釈の可能性をすべてシャットアウトしてしまう。
作者が分からないと言うものを、読者が分かるわけがない。
これは魔法のような技巧だと言わざるを得ない。
喩えが非常に悪くて恐縮だが、天才詐欺師に巧く言いくるめられたみたいなヤラレタ感がある。
かくして読者は、<正体がさっぱり分からない何か>に延々襲われる、という圧倒的な恐怖に晒される。
だから本編が、こんなベタな話なのに、強烈に怖い。
そして、読み終えてもう一度作品タイトルを確認する。
そしたらなんと、その<何か>がそこにいるじゃないか!そう気づいた瞬間またゾッとしてしまった、そんな初読時の記憶がある。
作品タイトルって、読み終えるころには忘れかけてたりしませんか?そんなの私だけかもしれないけれど。
コメントをお書きください