『ヨブ式』 牧野修

『ヨブ式』 牧野修
 (『ファントム・ケーブル』 角川ホラー文庫 所収)

 ―― 反射的に窓を閉めようとした諭子は耳元で囁いているかのようなその声を聞いた。
 ―おしい。
 笑いを含んだ声だった。 ――

 杉崎が一番怖かったのは、最初からひたすら続く不幸と悲惨のショーケースの部分ではなかった。
 最後の方、プラットホームの場面で初めて姿を現す「加害者」のシーンだった。
 そこで用いられる、たった一つのアイテムが怖かった。
 現われるとしたら平凡な無名の市民の姿で現れるのかな、なんて思ってたら、絵的に超怖くて、虚を突かれた。

 実はこれがうまい所で、この意外性が呼び水になって、話の流れは怒涛の終盤に繋がる。

 仮に、最初から明らかにスーパーナチュラルな異変が起き続けた挙句にオチが不条理、だと、なんでもありかよ、ってことになる。
 かといって、無茶な話のオチをすべてナチュラルに説明しちゃうと、そんなこと実際にできるわけねえだろ、ってことに。出来の悪い本格推理モノみたいになっちゃう。

 だから本作では、じんわりとバランスが探られる。

 序盤~中盤、起きる出来事の一つ一つは、極端ではあるが突飛ではない。リアルであるがゆえに心底きつい。
 リアリティといえば、周囲のあまりの冷たさは、ちょっとだけ違和感を感じさせるのだが、気になるほどではない。
 また、主人公に「何でこんな大掛かりなことができるんだ?」と軽く言わせる、しかし追求はさせない。させる暇も与えない。
 ここら辺も巧いテクニックである。全ては、着々と仕込まれていたのである。

 ずっとリアル路線でいくと思わせておいた(それゆえ、新奇さはない)流れが、上記のプラットホームのシーンで初めて鮮やかな「違った色」を見せる。

 オチであんなことになって、納得いく真相語りを読み理解するという慰めすら、読者には許されない。
 だからこそ、この話は最初から最後まで全く救いが無く、むごい。
 話の結び方として、こんなやり方もあるんだなあ、と驚かされた作品だった。