『長い暗い冬』 曾野綾子

『長い暗い冬』 曾野綾子

 (『異形の白昼』筒井康隆編 集英社文庫 他所収)

 ―― この霧の深い北国の首都が、ナトリウム燈を採用したことは、極めて科学的な態度と言わねばならない。しかし、この光の中で人間の顔を見る時、子供だろうが、若い娘だろうが、死人のような顔色に見える。口づけも愛撫も、凍りつきそうな不愉快な色だった。 ――

 例によってアンソロジーからの紹介という孫引きなのですが、そういう横着な出会い方でも、凄かった作品は紹介しないとダメでしょう、というわけで。

 このアンソロジーの後書きで、編者筒井氏は生島治郎氏と、この作品は入れなきゃ、とうなずき合った、それぐらい筒井氏の記憶に衝撃的に印象づけられていた、という風に書いている。
 同様に私の頭の中でも、何年も何年も(もしかしたら二十年ぐらいかもしれない)、この作品はどんよりと暗い影を残していた。

 正直、はっきり鮮明詳細に内容を憶えていたわけではなく、筒井氏と生島氏が「カチカチ山の話」として記憶していたように、私も、あの最悪なオチの話、として憶えていた。
 そして作者の名前も、本棚の中のどの本で読んだのだったかも、失念していた。
 で、このたびやっと巡り逢えて、ああこれだったこれだった!となったのですが……
 再読してみたら、ふうむ、という落ち着いた感嘆の溜息しか出なかった。
 これは最上級の賛辞などではなく、初読の時の衝撃的な戦慄を得られなかった、ということ。
 それは、むべなるかな、私がオチを憶えていたから、に他ならない。
 ああ、いっそのこと、完全に忘れるまでさらにあと二十年寝かせておけばよかったのかも…。

 まあそれぐらい見事な落とし方なのであるが、もちろんネタ一発の薄っぺらい作品では決してない。
 そして、唐突に、突然の不幸で無理矢理締めくくるブツ切りオチでもない。
 恐ろしい完成度でもって、最初から最後までしっかりと構築された逸品だ。

 昭和文学特有の暗く湿っぽいムードが、そして理詰めというより文学的深みをもって散りばめられた幾つかのモチーフが、時に視線逸らしとして、時に伏線として、ひたすら結末に貢献し続けているのだが、一切の違和感や不自然さを感じさせないのは、再読しても感心するほかない。

 一般にオチのパワーというのは落差にあるわけだが、馥郁(ふくいく)たる文学的ムード(といっても心底暗いんだけど)に酔いしれそうになってたら、このハシゴの外し方である。
 怖いというより、心が弱ってる時にうっかり初読したら、あんまりだぁ…ってさめざめと泣いちゃいそうだ。

 そういえば、星新一ショートショートの中にも、こういう話ありましたね。
 もちろん内容も雰囲気も、そしてオチも全く違うんだけど、形式が似ている話。
 機械が全自動で何でもやってくれる未来社会の話だったかな…。

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