『怪魚知音』 飯野文彦

『怪魚知音』 飯野文彦

 (『異形コレクションⅩⅩ 玩具館』井上雅彦監修 光文社文庫 所収)

 ―― 感激のあまり立ちくらみがする。私を見て、目の前にいる愛らしい女子高生が、感情を極限まで高めている。 ――

 この作品の冒頭四ページ、凄いと思う。とてつもなく素晴らしいと思う。
 いや、評論家ぶって客観的な評価の言葉を連ねるまでもない。
 私は一人のホラー小説ファンとして、この四ページが本当に好きで、ずっと心に残っていた、とそう言おう。
 既読だけど冒頭ってどんなシーンだったっけ?という方、あれです。早朝の中野駅前での大事件というか大騒動の場面です。

 でも、好きだ好きだ言ってるだけでは伝わらないから、私なりに分析してみよう、というのがいつもの趣旨というか目標なので、今回も頑張ってみよう。
 
 サイコホラーや猟奇ホラーにおいて、狂気の犯罪者を一人称文体で描く、というか当人にひたすら語らせる、という手法は、さほど珍しくはないだろう。
 だから「一人称なのが本作のポイントなのだ」とただ指摘すれば済む、というものでもない。
 むしろ称賛すべきは、その一人語りの語らせ方が、非常に巧い点だ。

 まず、情報量が少ない。事態の進行を時系列通りに喋らせているはずが、結局何が起きているのか、一番肝心な所は、読者には全く分からない。
 もちろん、話を最後まで読めば状況は完全に分かるのだが、分かった上で冒頭四ページを読み直すと初めて戦慄が走る、という仕掛けでもない。
 この冒頭箇所は、わけが分からないままいきなり読んでも、十全に凄いのだ。
 いやむしろ、逆だ。事態が把握できないからこそ、とてつもない不穏さだけがガンガン伝わってくるのだ。

 そして語り手である主人公の、これまたはっきり露骨に描かれないからこそ不穏な、思考回路のタガの外れ具合。
 主人公は、朝の中野駅前をパニックに陥れ、一般市民の反応と自分の興奮状態だけを語り続ける。
 心底楽しそうなこの狂人は、自分が起こしている事件を分かりやすく説明することなど、すっかり忘れている。
 こんなに生々しい臨場感でもって描かれたホラーシーンは、なかなか無い。
 冒頭だからこそ、つまり、まだ全てを語らなくてもよいからこそ出来る、非常に巧いやり方だ。
 
 さらに、技術的に巧いのは、その冒頭四ページの始まり、すなわち物語の一番最初に、自室に鍵をかけて出かける、という場面をもってきたことだ。
 鍵をどこにしまうか考える、という流れで、いきなり読者の頭を?????で埋め尽くす。
 だがここで、作者は、

 ・主人公が鍵の紛失を懸念するありふれたしょぼい一般人であること
 ・でも明白に異常者であること
 ・そして映像が見えてこないのだが明白に異常な状況であるらしいこと

 この三つをほんの数行で書き切ってしまっているのだ。
 こんな完璧な導入部がありえたのか!と、再読し改めて驚かされた。

 ちなみにタイトルの「知音」はチオンではなくチインと読み、心の中まで分かり合った親友、という意味の、難しい言葉だそうだ。
 実はさっき辞書を引くまで、意味も読み方も知らなかったのだが。
 これまで人前で「怪魚チオンって小説、凄いぞ」とか喋る機会が無かったことは、我が人生のささやかな幸運事でした。