『再臨』 小林恭二

『再臨』小林恭二

 (『邪悪なる小説集』小林恭二 岩波書店 所収)

 ―― この頃になって興行主は客席に異様な雰囲気が漂っていることに気がついた。蔭間がやたら目につくのである。いや蔭間ばかりではない。普通、芝居を観ないような人間が多数小屋につめかけていた。 ――

 うっかりすると名前を見間違えてしまうけど、小林泰三(こばやし・やすみ)先生と小林恭二(こばやし・きょうじ)先生は、当然別人である。

 私、その昔小林恭二作品にえらくはまった時期があり、初期のメタ小説的な作品群は、かなり読みました。

 そういえば、最近私のKindleでの愛読書となってて、何度も読み返しているのが、倉阪鬼一郎著『怖い俳句』という書籍。
 ここで「小林恭二」の名を目にし、おおっ、と驚いたものだが、これはよく考えれば偶然でもない。
 私の文芸鑑賞の守備範囲には、何を隠そう、俳句なんてジャンルまで入っているのだが、これはそもそも小林恭二氏の入門書の影響が大きかった。
 その俳句というジャンルについて、おもに異形コレクションで作品に親しんでいるホラー作家倉阪先生が、本格的な鑑賞本を著した。
 ほうほう、こりゃ面白いに決まってる、と飛びついた私。
 実際、非常に良い本だったので、いずれ、近いうちにこの『怖い俳句』を紹介する機会ももちたいと思っています。
 
 その『怖い俳句』の現代前衛俳句の章に、小林恭二俳句本への言及があって。
 おそらく遠い昔、倉阪氏と自分とは、小林恭二氏の著作から、とても似たモノを受け取ったのだと思う。
 人間の趣味嗜好のシンクロニシティについて、しみじみ考えさせられた。

 が、これは別の話。今回は、歌舞伎、である。
 今回紹介の『再臨』のテーマと舞台は、俳句ではなくて、元禄時代の歌舞伎なのである。
 
 この作者には、歌舞伎鑑賞入門書もあれば『カブキの日』というふざけた長編小説もあるが、『再臨』はガチンコである。
 
 私の勝手な感じ方ではあるが、芸術、そして「美」そのものを主題とするホラー系作品というと、殊に舞台芸術の分野では、とにもかくにも赤江瀑。
 そういうの読みたいなら、赤江作品だけ読んでればいいじゃん、ってぐらいに偉大で巨大な先人である、と思っている。
 だから私は、舞台芸術系の作品はとても書ける気がしなくて、今後もノータッチなままになる予感すらある。

 だけれども、この『再臨』は、小林恭二文体で芸道の狂気を描き切った、赤江諸作品とはまた違うムードの、しかし完全に本格派の、歌舞伎テーマの恐怖小説の傑作であると思う。
 まあ、何が怖いって、書き方だとか、作者の造詣の深さ、とかよりなにより、話の筋そのものが凄まじい。
 初読時の、結末を読み終えたあとの、ドローンと厭な気分は今でも憶えている。

 だが筋立てはアイデア一発系、要約しようとすれば数行で事足りる。多彩な人間模様や複雑なトリックは存在しない。
 ついでに言うとオカルトや超常現象要素も一切無い。
 強烈な一つのネタを、必要充分適切な長さに膨らませ、サックリと語って綺麗に終わる。そんな短編のお手本だ。

 若き日に俳句会で韻文修業に明け暮れた作者の文章は、小説、ノンフィクション問わず、とても気持ちが良い。
 美文、というより、さりげない名文の類い。一字一句に配慮がなされ、「デビュー」「ランク」「キャラクター」なんていうカタカナ言葉も平然と駆使しながら、最小限の字数で情報が伝達される。

 ……はてさて、一方、私の文章の冗長さよ。
 なんとかならんもんか、と、いつもいつも推敲に四苦八苦しているのですが、ご覧の通りで、お恥ずかしいかぎりです。