『母の行方』 飯野文彦

『母の行方』 飯野文彦 (『異形コレクションⅩⅥ 帰還』井上雅彦監修 光文社文庫 所収)

 ―― 「なぁ。私の病気は長いのか」
 閉じた新聞紙を畳の上に置きながら、私は妻に訊ねていた。 ――



 『帰還』よりご紹介する短編、二作目。
 一作目の『鏡地獄』のレビューは、なんだか変に堅苦しい文章になってしまったが、その原因は、『鏡地獄』を再読した直後に書いた文章だからに他ならない。
 つまり杉崎は、直前に読んだ作品のムードにすぐ左右される軽薄な手癖がある、というだけのことなのですが。

 通常運転に戻したく思いますので、今後はこれまで通り、気楽に読み流してください。

 『母の行方』は、『鏡地獄』と同系統の、謎を孕んだストーリーであり、さらに、クライマックスの恐怖モチーフまで似通っている部分もある。
 にもかかわらず、この二作品を『帰還』から選んだのは、どちらも、ホラーストーリーとして、とても印象深かったということだ。
 (印象深さなら、中井紀夫『深い穴』も、話の巧さと衝撃的な終わらせ方で、最高級品と言って差し支えないが、「怖いホラー」というより、ものすごーく味わい深い、切ない哀しい話である。)

 さて、読者個人個人が、謎ストーリーについて評価を下す際、なんだかんだ言っても、予想がついた(だからイマイチ)、予想がつかなかった(だから面白かった)って部分が割と大きいと思う。
 だからこの系統の作品については、私の個人的な感じ方をあんまり強く言い張る気はないが、でも、個人的には、予想の斜め上を行くヤラレタ感が凄い作品だった。
 よくこんな厭なネタをもってきたもんだなあ、と、あこがれてしまいます。

 形式は、記憶喪失の男の一人称。
 自分の過去を思い出そうと苦闘し、徐々に真相が明らかになっていく、という単純な流れなのですが…、いや、しかし。
 記憶が徐々に断片的に戻ってくるにつれ、手がかりも増えていくので、推理してやろう、と意気込むよりは、素直に虚心坦懐に主人公の一人語りに耳を傾けるのが良いかと思います。

 でもこの作品の良さは、最後に分かる真相だけではない。
 優れた短編を再読すると、オチを知っていてもやはり評価は揺るがないものだ。
 そして、再読すると、それがなぜ優れているのか、よく分かる。
 あらためて思うのは、この作品、伏線の張り方がとてつもなく巧い。
 この作品の場合、その「伏線」は、謎解きの鮮やかさに貢献する、というだけではない。
 それだけではなく、この作品の強烈な伏線は、真相の厭さ加減に、思いっきり貢献している。

 そして、一番最後の1ページ分ほどの分量の、後日譚的結び。
 ここで「記憶喪失者の一人称語り」という特性が、最良の仕方で活かされている。
 もちろん、ただ、格好良く終わってる、ということではなく、この形式特性が、厭な読後感を最大化する方向に、思いっきり活かされている。

 最後の一文まで、惚れ惚れするほど厭な話です。