『鏡地獄』 田中文雄

『鏡地獄』 田中文雄 (『異形コレクションⅩⅥ 帰還』井上雅彦監修 光文社文庫 所収)

 ―― 「彼女が家から出てこなかったわけが分かったわ。両方の目の玉が白いの。あの人は目が見えなくなっていたのよ」 ――



 異形コレクション第16巻『帰還』は、15巻(「ⅩⅤ」と書いた方がかっこいいですね)の『宇宙生物ゾーン』までの廣済堂文庫から、光文社文庫に移籍しての、シリーズ再起第一弾。
 だから、メタに洒落て『帰還』だというのは誰の目にも明らかなのだが、でも、アンソロジーテーマとしての「帰還」ってどうなんだ? という点から。

 もしもこれが、ただのシチュエーションしばりのお題だとしたら、この後も「食事」だの「出産」だの、同様の行為名詞のタイトルを冠した続刊が続いてもおかしくないが、そうはなっていない。
 そもそも異形コレクションは、いまのところ、そういう形でのテーマしばりを積極的に行おうとしてはいない。
 いくつかの例外を除けば、異形コレクションは、各巻タイトルを見れば即座に、どういうジャンルの「ホラー」アンソロジーなのか見てとれる。
 一方、「帰還」という一般的な言葉には、そのような「集客力」があるとは思いにくい。
 だが、収録作品を全て読めば、そのような疑念は霧散する。
 「帰還」という単語には、ホラーの隠れたジャンルとしての、それまでに実際に使用された『変身』や『水妖』と同等の「力」が宿っていることがよく分かる。

 この『帰還』という巻、全体的に、とにかく、暗い。(もちろんホメコトバ。)

 瞬間的な恐怖や陰惨さとは対照的な、長い時間をかけて醸造された、さまざまな人生の秘密、影、闇、歪み、後悔、汚点。
 それらが堰を切ってついに日の当たる場に現われ、非日常の現在(いま)を創出する。
 過去から、異郷から、現在をズタズタに引き裂く乱入者が帰ってくるのだ。
 登場人物たちが目を逸らしていた過去の、時間を経た重みが、かくのごとき暗さ、哀しさ、厭さをもたらすわけだ。
 言い方を換えれば、「帰還」という行為名詞は例えば「食事」だとか、あるいはもっとおどろおどろしい「殺人」や「監禁」みたいな行為名詞とも異なって、長い時間の経過を含んでいるということ。
 実は、「時間怪談」ならぬ「人生怪談」とでも呼ぶべきテーマ性を示唆していたということ。
 それゆえに、分厚い一冊の文庫本アンソロジーのタイトルに相応しい、立派なテーマであった、と結論できる。

 この巻からご紹介する一作目は、『鏡地獄』。
 乱歩の高名な同名作品とは、内容的にはほとんど連関はない。同窓会テーマの短編である。

 この作品は、素直に読み進め、最後に、ああなるほど、こういうオチか~、と驚いて読了すれば、それでいい。
 エンタメ作品というのはそういうものなのだし。
 けれど、作品の構成、構造を考え直してみると、ミスリードの巧さ、という点に感心してしまう。
 
 話全体は、ある一つの大きなトリックを伴って語られ、それがオチとなる。
 これは、察しが良い人なら、というか、ホラーやトリックストーリーを読み過ぎ、ついつい斜(はす)な視点で読み進める悪癖を身につけた人なら、予想できるオチだ。
 この作品は、その予想されたオチ自体を、さらにひっくり返すことをしない。
 その代わりに、これと同等の重要性をもった二つめ、三つめのトリックを、同時進行で走らせる。

 メインのミスリードトリックそのものが、他のトリックから目を逸らさせる、ミスリーダーの役割を果たす複雑な構造ゆえに、最後まで読まないと真相の全貌は見えてこない。
 そして、最後に真相の全体をただ語って終わるのではなく、真相が明らかになる鮮烈なクライマックスシーンをちゃんと描き切る誠実さも、素晴らしい。

 それにしても、真相の、というかトリックの種明かしの、一つ一つが明らかになるたびに、虚像の鱗がポロリポロリと剥がれ落ちるがごとく、ガクンガクンと陰惨さが増幅していく、この何ともいえない凄絶な感触!
 小難しい分析を試みてはみたが、結局、これが、この作品の一番のポイントなのかもしれない。
 全体として暗い印象が強い『帰還』の中でも、ことさらに暗い気分にさせられた短編だった。