『グレムリン ―或いは「籃(ゴンドラ)にて」―』 井上雅彦
(『夢魔の幻獣辞典』井上雅彦 角川ホラー文庫 所収)
―― ……高度二万呎(フィート)に達した頃だったよ。そこで、はじめて、俺にも見えたんだ。 ――
井上雅彦短編っておそらくは余裕で百本以上読んでると思うんだけど、実はこのブログで取り上げた数は少ないのです。
今のところ『残された文字』と『電気鬼』だけ。
その理由は、Aを採るならBを採らない理由がない、的な、作品のクオリティの均一性にある。
どの作品を手にとっても、井上節全開で技巧を凝らした芸術的な仕上がりが楽しめる。
だから、これが特にすっげえ、みたいなことが逆に言いにくい作品群なのである。
が、今回ご紹介の『グレムリン』、これは一味違う作品として、杉崎の頼りない記憶領域の中にしっかり印象のクサビが打ち込まれております。
どう印象深いか、っていうと、この短編でとりあげられたグレムリンという怪物の印象深さがまず一つ。
不勉強なもので、私はこの本で初めて本来のグレムリンはどういうものなのかを知った。
映画のあのグレムリンとは違って、本来は、機械に、特に飛行中の航空機に、とりついて故障させるという危険極まりない悪戯を為す怪物なのだそうだ。
戦闘機乗りの間で語り継がれた怪物、っていうだけで、なんとも怖くてロマンティックでウットリしてしまう。
でも、この作品の印象深さの理由は、それだけではない。
単純明快に、最後の1ページでゾクリと上質な恐怖を味わったから、というのが、今回採りあげた最大の理由。
なるほど! と感心してしまう見事なオチはもちろん井上短編のお家芸みたいなもんだが、その見事さが恐怖の質と量に直結してる作品って割合としては多くないようにも思う。
恐怖のクライマックスはオチの前に出し切って、オチの見事さはまた別のお楽しみになってる形式の作品の方が、多いんじゃないだろうか。
統計を取ったわけではないけれど。
この作品は、そういった一連の作品とは一味違う。作品全体でガッツリ怖がらせにくる。
冒頭数行が妙に詩的過ぎてなんか奇妙だなっていう小さな引っ掛かり、分かったような分からないような副題、そして物語内部の、伏線だとは思ってもみなかったいくつかの箇所、そこらへんが全部結末の最後の1ページの恐怖の仕掛けにつながってゆく。
作品が全身で、全体重かけて体当たりしてくるみたいな感じといいましょうか。
感じ方は人それぞれでしょうが、怖い井上短編という点では、この作品の完成度は相当上位に来るんじゃないかと私は思います。
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