『苦艾の繭』 吉川良太郎

『苦艾の繭』 吉川良太郎

 (『異形コレクションⅩⅩⅣ 酒の夜語り』井上雅彦監修 光文社文庫 所収)

 ―― 「酒飲みには、飲まずにおれない理由があるもんだ。自分から言うまでは聞かないがね」 ――


 タイトルの「苦艾」はニガヨモギと読む。アブサンという酒の原料だそうで。
 
 さて、異形コレクション全作品中でも屈指のかっこいいハードボイルドホラーがこれ。
 私が何かをド忘れしてないならば、個人的には、一番かっこいい、と言い切ってもいいんじゃないかなと思う。
 それほどに最初から最後まで痺れる文体で綴られている。
 こんな文体を縦横無尽に使いこなせたなら、さぞやモテるだろうなあ、なんて。

 ハードボイルドとは言ったが、チャンドラーやボギーの乾いたアメリカンムードというより、ジャン・ギャバンの『望郷』とかのヨーロピアンな色気が濃厚。
 日本人作家なのにこういう作風を身につけるのって、どうすりゃいいのか私には皆目分かりません。
 
 厭世的で虚無的な無頼漢の主人公の魅力。アブサンという幻の酒にまつわる興味深い薀蓄。
 錬金術がらみのオカルト要素。ムードで誤魔化さない理詰めの展開とオチ。
 全く隙の無い、多くの魅力に満ちた力作だが、私は特に、この文体を用いて紡ぎ出される主人公の酒への耽溺描写が秀逸だと思っている。
 まず、話のキーになる最高級アブサンの魅力が、恐ろしいほどに伝わってくる。
 本アンソロジー『酒の夜語り』に数々登場する魔法の酒の中でもひときわ美味しそうに思える。
 そしてまんまとそれにハマる主人公の、全人生を売り渡さんばかりのデカダンっぷりがまた、とてつもない凄みをもって描かれる。
 こういうかっこいいキャラクターを書きたいとは誰でも思うが、短い紙数でなかなか書き切れるものではない。

 なんとかこの作品の魅力を私の言葉で説明したいのだが、結局は突出した文体、語り口の魅力ってところに落ち着いてしまうなあ…。さて困った。
 
 なので、変則的なやり方をとります。
 いつもは冒頭で一文だけ引用するのがこの場の常だが、今回はそれだけではもったいないので、もっと何箇所か引用してそれだけで作品紹介を終えてしまいます。決して手抜きではありません。
 これが、この『苦艾の繭』の魅力を伝える最善のやり方のように思えるからそうする、というだけ。
 書き写してみると、さながら、酒についての名言集みたいになっちゃってますが。

  ―― 酒と思想は人間を役立たずの酔っ払いに変える。そんなだからファウストもニーチェも女にふられるのだ。 ――

  ―― 酒こそは霊妙なる馬鹿につける薬、医者や政治家や聖人君子が金切り声で警告しても酒がこの世からなくならないのは、人類が<永遠に馬鹿>という呪いをかけられているからだ。 ――

  ―― 「それで、あなたの心は痛まないのですか?」「死にかけてるよ。魂の出血多量だ。だからこうして毎日消毒してる」 ――