幻野としての杉並

― 終末論的週末、局所的酷暑、あるいはバッカス的馬鹿話 ― その2





2 土曜日




2-1 すべてはバッカスのために


 土曜の真昼、杉崎は汗まみれで目を覚ました。
 即座にエアコンのスイッチを入れる。クーラーを最低温度に設定する。

 今日も明日も、何の予定もない。毎週末いつもこうだ。
 酒だ。酒を飲むことだけが、いつもの週末の欠かせないスケジュールなのであった。

 テーブルに目をやる。飲み散らかされた缶チューハイの空缶がある。昨夜明け方近くまで飲み続けていたのだ。
 その横にふと目をやる。不思議なものが置いてあるのに気づく。
 
 おそらくは何週間もずっと、あれはあそこにある。そういえば、ずっとある気がする。
 おそらくは、レンジでチンするお徳用チキンナゲットにかけるために買ったのだが、それがいつのことか全く思い出せない。おそらくはこんなに暑くなる前だろう。
 それは、使いかけのケチャップのチューブだった。

 さて、いかがしたものか。
 さすがに早く使わないとこの暑さでは腐りそうだ。まだ腐っていないことは、先ほどひと舐めして確認済みだ。合成保存料恐るべし。
 今すぐ冷蔵庫に放り込んでもいいのだが、そうすると冷蔵庫の中で忘れ去られて、やはり数カ月かけて腐るのがオチだ。
 なんとなれば、今日まで視界の隅にずっと存在していたのに、見事に存在を忘れられていたのだから。

 存在を忘れないこと、自分の印象に刻むこと、そのためには、料理に使うのが一番いい。鶏肉のケチャップ炒め、これでいこう。
 
 貧民層の使う激安スーパーで、期限切れ近い鶏胸肉を30パーセントオフで買う。タマネギを買う。酒を買う。サラダを買う。
 酒の缶を買物カゴに放り込みながら、杉崎は切実に思う。

 酒を、やめたい。

 酒なんて気分がいいのは最初の1時間だけじゃないか。あとの23時間は体調不良に支配される。金もかかる。心身いずれにも悪影響しかない……。
 そんな暗い思考をしみじみと巡らせながら、杉崎は缶チューハイのロング缶をカゴにもう1本追加する。

 家に帰り着き、猛暑の汗を拭い、まずは最底辺向け缶チューハイの缶をあける。
 一気に500㏄缶の半分近くを飲み下す。
 その勢いで鶏肉のケチャップ炒めを作リ始める。
 タマネギをサービス品の牛脂で炒める。鶏肉をぶち込む。塩、一味唐辛子、五香粉、適当に振りかける。鶏肉の色が変わったらケチャップをたっぷり、とんかつソースを少々。

 できあがった瞬間から食べ始めている。激安酒をグビグビあおりながら。
 ケチャップ炒めを完食してから、同じ器にサラダをぶちまけ、ドレッシングをたっぷりかける。

 すべては酒神バッカスのために。杉崎の論理とは次のようなものだ。

 1 最初の酒が最高なので、一番うまいものと合わせて飲むのだ。だから最初から肉なのだ。
 2 肉を食べ終えて一息つく。腹は張ったが、酒はまだまだ始まったばかりだ。次はあっさりしたものがいい。
 3 かくして、ドレッシングをたっぷりかけたサラダで飲酒の第2ラウンドとなる。

 杉崎はこのところ少なくとも1000日は酒を切らしたことがない、かなり深刻な事態に足を踏み入れようとしている敬虔なバッカスのしもべであった。 
 コロスケが部屋に遊びにきだしたのは、ここ半年ほどのことだ。



2-2 西荻窪のミッドナイトカリー


「え、今からっすか?」
 山中が電話口で情けなさそうな声を上げる。

 バッカスにすべてを捧げ、一旦完全に沈没し、およそ6時間後に目を覚ました杉崎であった。
 目覚めるまでしばらく、厭な夢に苦しめられていた。
 泥酔して潰れて寝る。数時間後に血中のアルコール濃度が下がり、反動で脳内に鬱や不安の花が咲く。いつものことだ。

 杉崎が山中に電話したのは夜の10時を回った頃だった。
 杉崎が住む杉並区の南東の端、南杉並から、山中の愛の巣がある西荻窪まで地下鉄とJRを細かく乗り継いで半時間。
 ドロリとした泥酔の残滓に脳がふやけたままの杉崎は、本当に西荻窪駅北口に現われた。
 山中が「いつでも案内しますよ」と言ったのだ。24時間前に。
 だから杉崎は案内させているのだ。男と男の約束なのだ。

「深夜にスパイスの効いたカレーを出す店があって。そこで飲むビールが、中々いけるんですよ」
 前夜、山中は地元の自慢をした。
「うむ。結構だ」
 杉崎は頷いた。
 拒絶の意味ではない。very good という意味だ。
 だから杉崎はこうしてここにいる。衝動的に心の底から、カレーでビールが飲みたくなったのだ。

 杉崎は、美味いものなら何でも好きであった。
 ただし、それらのすべては、酒のつまみであった。
 例えば山中に案内されて連れて行かれたラーメンの名店。杉崎は心底美味しいと思いながらラーメンをすすり、ビールを喉に注ぎ込む。
 客観的には、ラーメンを食べながらビールも飲んでいる普通の客だ。
 しかし杉崎の主観の中ではそれは、ラーメンをつまみにしてビールを飲む、という飲酒行為なのであった。

 かくしてその夜杉崎は、なかなか美味いドライカレーをつまみに、東京地ビールなる、変に自己主張の強い匂いがするビールを飲んだ。

 その店では終わらず、隣のスナックだかバーだか微妙な店で、安いのだか高いのだか微妙な水割りを飲んで、その日二度目のトップギアをマークし、杉崎は大変にご機嫌であった。
 さんざん満腹し満足してから、山中の家庭を気遣うようなことを急に言い出して、ようやく山中を解放することにした。
 駅まで送ってきてくれた山中に大袈裟に礼を言って別れた杉崎は、クミンとナツメグの香りとアルコールに脳をグズグズにされて、心身同時にとろけそうだった。

 終電を逆に乗り継ぎ、最寄駅の営団地下鉄南杉並駅を出る。
 人影まばらな鬱蒼と暗い並木道を千鳥足でなんとか前進する。寝床が恋しい。

 飽きもせず、真夜中だというのに、蝉が狂ったように鳴いている。
 鳴き声と熱気と暗闇が溶けて一つになっている。

 それから逃れたくて、杉崎は足を速めようとする。その時だった。
 久しぶりに、<この世のものならぬ者たちの隊列>に遭遇してしまった。
 暑くなってからは、初めてのことだった。

 山中を呼び出す直前に苦しめられた悪夢は、<隊列>に自分の身体を蹂躙(じゅうりん)される夢に他ならなかった。




2-3 隊列はただ通り過ぎる


 <この世のものならぬ者たちの隊列>が少し離れた闇の中に見える。
 左から右へ杉崎の進路を横切るように。
 獣のような声で、人の言葉を互いに交わしている。この言葉を耳に入れてはならない、理解してはならない、と本能的な拒絶が心の底から湧き上がる。

 遭遇の際、杉崎がとる行動はいつも同じだ。
 心を閉ざし歯を食いしばり、外見上は彼らに屈服したふりをして、ただやり過ごす。通り過ぎてくれるのを、じっと待つ。
 隊列はときに、果てしなく長いこともある。

 大抵、それは深夜の闇の中に現われる。時には昼下がりの腐り切った空気の向こうに現われることもある。

 <この世のものではない者たち>がどこか違うオリジナルの世界からこの世に出現する時、とても馬鹿げた姿で転写される。
 パソコンの表示倍率や文字コードが狂ったりする、ああいうものだと杉崎は考えている。
 この南杉並を中心とするゾーンで日々起きる奇異な出来事は、大抵この仮説で説明がつく。
 コロスケは時として全く異なる仮説を提示しようとするが、杉崎は決してそれに耳を傾けようとしない。

 <この世のものではない者たち>は、大概ひどく馬鹿でかい。それでいて実体をもたないから、重量感のない極めて異質な動き方をする。
 そいつらは場違いな仮装行列のようであったり、腐り果て崩れ落ちかけた人体であったりすることもあるが、多くの場合、人型を遥かに逸脱した、理解を拒むような姿である。
 百鬼夜行とはまさしくこれのことにちがいない。
 しかしそれはきっと、<表示>が狂っているだけであって、それらの本当の姿ではないのだろう。

 時にそれは、闇の向こう、少し離れた大通りを通過する。
 空を割って斜め下にこちらに降りてくることもある。
 あるいは、土の地面から湧き出すように、空に向かって行進をすることもあった。

 隊列は、ただ通り過ぎるだけだ。
 今もまた、杉崎はただ立ち尽くしている。
 必死に目を閉じても無駄だ。隊列は、目を閉じていても、ありありと見える。

 今回の隊列は、人間の外見をしていた。先ほどまでいた西荻窪の駅周辺ですれ違ったような、ごく普通の通行人の姿をしていた。
 ただ、全員が、頭部だけが巨大な雀のそれだった。
 その嘴にはめいめいに、蝉の死骸や小さな雀の死骸が咥えられていた。

 隊列にでくわすたび杉崎は、ただただ威圧され、抑圧された不愉快な気分となる。自分がちっぽけな、虫けらのような存在に感じられる。
 それは劣等感とは異なる。劣等感とは、比較可能な対象に対して抱く感情だ。自分より顔の良い男だとか、自分より仕事ができる同僚だとか。
 嵐や雷鳴に劣等感を抱く人間はいない。そこにあるのは、端的に、圧倒的な無力感だけだ。

 杉崎は、隊列を憎んでいる。許しがたいと思っている。
 ただ思うだけだ。
 隊列に出くわすたびに杉崎は、塩を浴びたナメクジのようにへなへなと小さくなって、全身で屈服の態度を示すしかないのだ。
 呪詛の言葉を心中で呟きながら、惨めな気持ちで、通り過ぎ消えてくれるのをただ祈るしかないのだ。



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