心を一つに


 S氏が立っていたのは、オフィスビルの中央エレベーターの、ハコの奥の隅だった。
 八人か十人ぐらいが定員の、ごく普通の大きさのエレベーターだった。
 S氏の目的地は十八階、そのハコは彼を乗せた地上階から静かに昇っていって、十階を過ぎる辺りでは、まだ、数人しか乗っていなかった。

 十四階でそれは起きた。

 まず、若い男が一人、忙しそうに入ってきた。激務に翻弄される自分に酔っている、そんな雰囲気だった。
 次に、おそろいの事務服の女が三人。ハコの中で足を止める直前まで、お喋りに夢中だった。
 続いて老夫婦。その歩みの遅さに、すでにハコの中にいた人々は一様にイラッときたが、それもつかの間のことだった。
 扉はまだ閉まらなかった。
 歩きながらスマートフォンを操作し続ける中年男が乗り込んで来た辺りで、S氏は異変に気づいた。
 どんどん、どんどん人が入ってくるのだ。
 扉は閉まらない。重量オーバーのブザーもならない。間を置かず、次々に人が入ってくる。無言でつまらなそうに。あるいは、詰めてもらったことに恐縮し「スイマセン」等と呟きながら。

 そろそろ、誰もが異常に気づき始めた。
 しかし誰も口をきかない。喋っていた女たちの集団も、不自然に会話を中断したままだ。都会人特有の無表情スタイル。暗黙のうちに遵守されるマナー。皆一様に、ただ静かに耐えている。
 S氏は次第に壁に押し付けられた。朝の満員電車よりも酷い人口密度だ。肩の骨が痛い。何が起きているのか、全く分からない。それでもS氏は歯を食いしばって、声を上げなかった。

 やがて、その時は来た。
 ガクッとハコが揺れた。
 一呼吸おいて、もう一度ガクンと衝撃が走り、エレベーターのハコは、扉も閉めずに地下四階までの自由落下を開始した。
 S氏をはじめ数十人の人々は息を呑んだが、礼儀正しく悲鳴も上げず、その爽快な加速度に身をゆだね、一秒ほどの無重力感覚に心を躍らせた。皆の心は一つになり、次の瞬間、一つになった皆の心は、いっしょに天に昇った。

(2016年 8月)