二章 蟲飼いの山 ~懶惰なる山河、山々の襞~

 

 3 蛇を飼う村

 



 しばらくの沈黙の後、スノハラがリュウスケの目を見た。リュウスケはスノハラの空いたグラスに気づき、酒を注ぐ。
 スノハラはまた一口ウィスキーをあおり、そして口を開いた。
「ナガムシ、って多分蛇のことだよ。古語か方言だと思う」
「多分、昔の言葉だと、蛇も虫の一種なんでしょうね」
 リュウスケも同意し、また二人首を傾げる。意見を求めようとスノハラがマキの方に目をやり、少し驚く。
「あれ? マキちゃん、元気ないんじゃない?」
 リュウスケも、話に夢中になっていた自分を少し恥じるような顔になる。
「言われれば、そうですね。マキさん、顔色が良くないですよ。飲み過ぎってほど、飲んでないと思うけど」
「……酔ってないわ。大丈夫よ」
 マキは、重い口を開いた。スノハラは本気でマキを心配している。一方リュウスケは、これは、今から話す番のマキの演出なのではないか、とタカをくくっている。だが、珍しく、スノハラの方が正解だった。
 マキの口調は、少し前とうって変わって陰鬱だった。
「……実は、私も知ってるのよ。お世話になってる知り合いの方の、生れ故郷のお話をうかがった時、そう言ってた。『ナガムシ様』って」
 スノハラは驚きの声を上げた。
「ほう、『様』が付いちゃったか」
 リュウスケは、興味深そうに問いかける。
「それは、どういうお話ですか? やっぱり、土着信仰みたいなこと?」
 マキがパッと顔を輝かせる。しかしどうにも元気がない。
「そう。そうなのよ。すごおく気持ち悪いの。ゾクゾクする話なのよ」
 リュウスケは、ニコニコしている。まだ、これはマキの話術なのではないかと疑っている。
「ほうほう、是非、聞きたいもんだね」スノハラも、もう興味はマキの心配より話の中身に移っている。
「その方、じゃあ私は仮名佐藤の伯父様っていうことにしようかな。ほんとはね、その地域にしか無いらしい、とても珍しい苗字なのだけれど。虫偏の難しい漢字使うの。……で、その仮名佐藤さんのご実家ではね、その村だけのことみたいなんだけど、村で一番大きな? 一つしかないのかな? どちらか分からないけれど、その村の神社で、蛇を飼っているんですって。もう、何百年も昔から。そこで、ちゃんと神主さんが、増やして、育ててるみたいなのよ」
「増やす? 何のため?」とスノハラ。
「それがねえ、村人みんなで、食べるため、なんですって」
「うええ……」
 スノハラが大袈裟に顔を顰める。
 リュウスケの顔からも、微笑みが消えている。
「へえ、なんかすごいですね。でもまあ、イナゴや蛙を食べる地域もありますでしょう?」
 マキは頷く。
「うんうん、そうなのよ。最初、ムシ、ムシ、って言ってるから、私、昆虫食べるのかと思ったのよね。でも、ムシってナガムシのことなの。つまり、蛇なの。蛇を食べるって話は、そりゃあるんだろうけど、でも大切に養殖してるって、他にそんな所あるのかなあ? しかもそれは特別な蛇で、どこにでもいる蛇じゃないんですって。その蛇の血を絶やさないように、子を産ませては食べている、って話みたいなのよ。それを食べることで、村人は力を貰える、みたいな」
「なるほど。タンパク源ですし、それに加えて、精力増強の薬として、鳥やイノシシとは別格だったのかもしれませんね」リュウスケが言う。
「ああ、中南米の農民がコカの葉を齧って、ラリって覚醒して、むりやり辛い農作業がんばった、みたいな?」スノハラが言う。
「そうですね、喩えが適切かどうかわかりませんが、似た感じじゃないかな、と私も思います」
 勝手に二人で納得しかかったリュウスケとスノハラが、さらに戦時中の特攻隊員の話など始めそうになって、マキが口を挟む。
「でもね、やっぱり宗教っぽい感じもあるのよ。あらゆる物の中に蛇が棲んでいる、みたいな意味不明の信仰というか迷信。ナガムシ様が棲んでる、とか、入り込んでる、とか」
「へえ、マキちゃん、えらく詳しいんだね」スノハラが、ようやくマキの存在を思い出して、発言権を譲った。
 マキは、待ちかねたように話を続ける。
「私もね、スノハラさんとかリュウスケさんと同じでしょ、変な人に出会うと、やっぱりワクワクするタチだからねえ……。だからいろいろ話聞いたのよお、その佐藤の伯父様に。そしたら、最初は詳しく話してくれなかったんだけど、しつこく尋ねてたら、だんだん、ね」
「まあ、マキちゃんは、人の心に入り込むのが上手だから」スノハラが真顔で混ぜ返す。
「嫌な言い方しないでよね、失礼しちゃうわ。でもね、深入りし過ぎて、ひどい目に遭ったのよ。私、どんどん佐藤さんに気に入られて。まさか私を口説き落そうなんて歳でもないから、うんそう。私の父ぐらいの歳の方なの。それで油断しちゃった。そしたらそのうち佐藤さんがね、友人の息子だ、とかいう、素敵な人紹介してくれたのよ。さすがにちょっと、驚いたけれど」
 スノハラも驚き、そしてむむむっと難しい顔になる。マキは敢えて無視する。
「佐藤さんが言うにはね、この若者は大学の友人の息子で、生れ故郷は違うって。それを不自然なぐらいはっきり言ってたんだけど、酔った拍子かなんかで『お前、うにゃうにゃの生れなんだから、そんな好き勝手言えるわけがないだろう』みたいな話を彼にしてるの、盗み聞きしちゃった」
「うにゃうにゃ、って?」とスノハラ。
「聞き取れなかったのよね。地名なのか、家系とかそういうのなのかも分かんないの」
「私やスノハラさんはただの変な人の噂話だけど、マキさんは完全に当事者じゃないですか!」リュウスケが感心したように言う。
「怪談の女王の、誕生だな」スノハラも調子を合わせる。
「やめてよ、もう! 冗談じゃないわよ。私、それ以来、なんか気味悪くなって。二人して私を罠にはめてるような気がして。自然、縁を切ったわよ。なんのかんのと言い訳して、上手に会わないようにしたの、佐藤の伯父様とも、謎のハンサムさんとも」
「なんだ、つまらん」とスノハラ。それを聞いて、リュウスケがプッと吹き出す。
「とか言って、スノハラさん、内心ホッとしてたりして」
 スノハラは無言でリュウスケを睨む。リュウスケは目を逸らす。誤魔化すように、スノハラはマキに話を振る。
「それって、いつごろの話なの?」
 マキは二人の軽口に一切乗っかろうとしない。嫌な記憶が蘇って、不安でいっぱいの表情だ。
「実はね、まだ半年も経ってないの。それでね、その謎のハンサムさん、何度か夜に電話してきたり、ラヴ・レターみたいなものを送ってよこしたり。私どんどん怖くなっちゃった」
 スノハラが、男の見せ所、とばかりに、良い顔をする。
「それはまた、迷惑極まりない話だな。まだ電話かかってくるのかい? しつこいようなら、俺が相談に乗るよ」
 マキは首を振る。
「少し前、電話局に相談して、電話番号を変えてもらったの。電話帳にももう載せてない。それ以来、さすがに電話来ない。だから大丈夫」
 リュウスケが、残念でした、という顔でスノハラに微笑む。
 マキは、寂しく笑って話を続ける。
「でもさあ、私の痛々しい恋路の話は置いといてもよ、リュウスケさんの同僚だった、石板の鈴木青年って方、さっき言ってた地域の出身なんじゃないの? 話、似過ぎてやしない?」
 ない、ない。二人の男は笑う。マキもつられ笑いを浮かべる。だがマキだけが、本気では笑っていない。
 少し笑ったふりをしたマキは、またすぐ真顔に戻り、リュウスケに食い下がる。
「でも、リュウスケさん、石板の鈴木青年の出身地って、ご存じじゃないでしょう?」
「うーん、はっきり知らないんだけど、何となく聞いたことある気がするんですよね」
 マキとスノハラは、リュウスケの顔を見る。
 マキが堪らず先に口を開く。
「私の知人だったその佐藤の伯父様の蛇を食べる故郷ってね、○○県の××地方の山奥だって。嘘をつかれてなければ、だけど。ほら、今じゃ新型発電所が建つってので有名な……」
 スノハラは、リュウスケがハッとした顔になったのに驚く。
「えっ? ……そう言えば、あいつもたしか……」
 常に客への礼儀と愛想を絶やさなかったリュウスケが、この時初めて、不安げな真顔になった。
 重い沈黙。
 だが、またしてもマキが口を開く。喋っていないと不安なのだ。
「ちょっと、二人とも黙らないでよ。怖いじゃない」
 そして、リュウスケが、マキが怖くて尋ねられないことを、スノハラに尋ねた。
「あの……スノハラさん、最初のお話の、田中女史って方の嫁入り先って……」
 スノハラは、隠し事を咎められたようにギクリとする。
「いや、ホントに知らないよ。知らないってば。……だけど、多分職場で調べりゃ、誰か憶えてるんだろうけどなあ……」
「もう嫌。聞かなくていいよ。聞かないでちょうだい」
 マキが、暗い静かな声で遮った。それがまるで、恋人に絶縁を告げるかのような口調だったので、スノハラは一気に酔いも醒めてしまった気がした。

 

(2013年 8月)