荒野とメガネと鉄パイプ


 前回の何倍もの規模の新たな大震災が、我が国を襲った。
 地は割れ街は燃え崩れ、巨大工場群も発電所も吹き飛び、どさくさに大型爆弾が落ち、放射能汚染と化学汚染が一挙に広がり、たちまち日本全土は暴力と窃盗と欺きが支配する無法地帯と化した。

 生き残った人々の多くは家を失い荒野に投げ出され、流浪の民となった。
 その生き残りの大半は、老若男女問わず、近視であった。震災前の比率と変わるところはなかった。
 近視の人々にとって、食料と同じぐらい大事な、死活を決する物品とは、メガネであった。
 もう近場にメガネ工場は存在しない。検眼技師も施設も残っていない。そしてメガネという道具はほとんど自分専用に近く、他人用にあつらえたものはあまり用を為さないという特性を有する。
 この地平線の果てまで広がる廃墟においてメガネが自転車や自動車よりも大事にされたのは、そのためである。

 S氏においても事情は同じであった。彼は一つしかないマイメガネを後生大事に保持していた。これがなければ何もできない。遠くから迫る人影も見えない。足元の危険な破片すらよく見えない。
 このメガネを失ったら俺は終わりだ。S氏は常々自分にそう言い聞かせていた。

 争いも人目も避けて静かに生き延びてきたS氏であったが、ついにある日、暴漢と対峙せざるを得ない状況に陥った。
 S氏は覚悟を決めた。本意ではないが、戦うより他ない。
 S氏はメガネを外すと、ズボンのサイドポケットに収めた。格闘の末メガネが壊れることは、なんとしても避けねばならない。この場では勝利したとしても、メガネが壊れたが最後、S氏の命運は尽きたも同然となる。

 突如暴漢は、隠し持っていた鉄パイプを構えた。
 しまった、と思う間もなく、S氏の顔面にその鈍器がめりこんだ。
 
 頭蓋骨を砕かれほぼ即死であったS氏の最後の思考は、次のようなものであった。
 ……危なかった。メガネを外していて正解だった。メガネが壊れずにすんだ……。

(2015年 1月)