雪もよい


「パパ上殿、雪もよい、とは、どのような意味の言葉でありますか」
 図書館からの帰り道、彼が私を見上げて尋ねた。
「雪もよい、ねえ…。私も、知らないですね、帰ったら調べてみましょうよ」
 私は妻や子供たちとは違って、緑色の粘りつく皮膚をまとった短躯の二足歩行生物に、馴れ馴れしい友達言葉を使う気にはなれない。たとえ彼らが、謎の訪問者から客分、客分から居候、居候から家族の一員、と立ち位置を自然に変えてきたことを、認めざるを得ないとしても。
 そうだ。これは私の欠点であり、弱点だ。知人との関係性を変化させること、殊に、親密に変化させることが、子供の頃から苦手だった。
「そもそも、そんな難しい言葉をどこで知ったんですか」
「先ほど古い小説を読んでいたら、『雪もよいの空の下を、急ぎ足で帰る』という一節がありまして。ゲロゲロリ」

 帰宅し、パソコンを開く。
「ほほう、雪もよいの『もよい』っていうの、辞書によると『名詞の下に付けて、そうなる気配が濃いさまを表す。きざし』だそうですよ。雪もよい、とか、雨もよい、とか、使うんですって」
 彼が、横からモニタを覗きこむ。
「おーぅ、『もよい』は催すという字だったのでありますな。なるほどまた一つ勉強になったであります! ……おっと、吾輩、おしっこもよい……」
 そんな、とぼけたセリフを残してトイレに駆けていく、小さな緑の影。息子たちがいたなら、明るい笑顔の花が咲く場面だ。私は息子のように素直に笑えない。最後の言葉にはむしろ、内心イラッときた。もちろん、そんな態度を表に出せるわけもないのだけれど。

 いい大人になって、初めて知る日本語があったということに、正直驚いた。そしてそれが、数年前に地球に降り立った異星人と同時だったということに、軽い屈辱を覚えた。後から来た者、天真爛漫な者、愛されるべくして愛される者、そして私より優れている者。彼は、私がストレスを感じる多くの要素を兼ね備えている。
 はやく子供たちが帰ってきて、彼の相手を交代してくれないかな。私は小さなため息をつきながら、窓の外の空に目をやる。雨もよいの曇り空が、どこまでも広がっていた。

(2014年 3月)