あれは20数年前のことだ。台湾の首都、台北だった。
娘はまだ妻の腹の中にもいなかった。
本橋が久しぶりに異郷でのあの奇妙な出来事を思い出したきっかけは、大学二年生の一人娘だった。
親を伴わない初めての海外旅行に出かける前夜で、大騒ぎをしていた。
「だけどお前、英会話も怪しいのに、ドイツ語とかスウェーデン語とかどうするんだ?」
「平気だよ、スマホのアプリがあるもん」
実際に見せてもらって納得する。
本橋が知らないうちに自動翻訳プログラムというものは非常な進化を遂げているらしい。
スマホに日本語で入力すれば、何語であろうと翻訳して文章を表示してくれる。
電子辞書どころの話ではない。くだけた文面でなければ、ちゃんと通訳としての役割を果たしてくれるレベルだ。
片言のコミュニケーションも楽しまず、スマホをかざし続けるだけの海外旅行というのは味気なくないだろうか、などと思った。
でもそれは、海外、外国人というだけで不便と苦労を味わった世代の負け惜しみかもしれないな。
そう言えば、若い頃台北に行った時はスマホも翻訳機も無かった。
こんな薄い端末が一つあれば、台北で一人で病院にかかることだって可能だったろうに。
* * *
それは本橋の初めての海外出張だったが、台北支社との打ち合わせなので、それほど気負わなくてもよかった。
島田という上司との二人旅だった。
島田は支社の社員と日本語でしか会話しなかったし、本橋も現地の台湾人技術者とすべて英語で話せばよかった。
その夜島田は、本橋を繁華街に誘った。吝嗇(けち)な島田には珍しいことだった。本橋の機嫌を取りたいようだ。
昼間の仕事では、語学の問題で苦しめられることはなくとも、島田とのチームワークの問題もあって、なんとも精神的に疲れさせられた。
ホテルの前でタクシーに乗り込んだ島田は、無言で小さなチラシを運転手に渡す。行先の住所が書いてあるのだ。
運転手は台湾語で一言返事をすると、それ以上何も言わずに車を発進させる。
やがてタクシーは、性的なサービスを供給するマッサージ店の前に停まる。
付き合うしかないか、と本橋は観念しかかったが、どうしても気がすすまなかった。
島田と離れたいばかりに、情けない顔を作って頭を掻いた。
「課長、私はそこの夜市で飲んでます。お恥ずかしながら私、女の方は全然ダメで……」
本来、堅物の本橋を連れないで一人でハメを外した方が楽しい、そういったたぐいの店だ。島田は了解し「店を出たら電話するから」と笑った。
本橋は、ようやく解放された気分になった。
島田が嬉々として入っていった店のすぐ先の、飲食店と屋台が軒(のき)を連ねる広場に足を踏み入れた。
本橋はたっぷり時間をかけて夜市を見て歩き、活気に満ちた異国の空気を堪能した。
一周して広場入口に戻ると、そこからほど近い小さな店の、油の煙がもうもうと舞う調理場の前に並べられた、小さな木の椅子に腰かけた。
テーブルも1メートル四方ほどしかない極めて質素なものだ。
すかさず、若い男の店員がニコニコしながら寄ってきた。
厨房と客席をひっきりなしに往復している、この店ただ一人のウェイターだった。
本橋はメニューを一瞥し、ビールと、なにやら炒め物らしい黄色っぽい料理の皿の写真を指さす。
「これと、これ。お願いします」
と日本語で注文した。
本橋は台湾語も中国語もチンプンカンプンで、この初めての海外出張に当たっても、全く勉強する時間がとれなかった。
なんとかなるよ、社の同僚は皆そう言っていた。
当時から台北は、日本語が分かる人も多く、日本人より若干英語力も高くて、要するに日本語と英語だけでなんとかなる、あらかじめそう聞いていた。
来てみれば、実際その通りだった。
それに、なにより、漢字が分かるというのが一番大きい。会話はからっきし駄目でも、地図も案内板も料理のメニューも、漢字を追っていけばなんとなく分かる。
そういう、欧米などへの旅行とは一風違った気安さがあった。
ウェイターは日本語でなく台湾語で一言返事をして、メモも取らずに厨房に戻っていった。
つまり彼は日本語を喋らないということだ、と本橋は察した。
まあ、問題ないだろう。ゆっくり周囲を見渡してみる。
たまたま周囲に外国人観光客はいない様子で、目につく人の姿も聞こえてくる声も、すべて現地のそれだった。
全く言葉の分からない異国にいるということの面白みを、本橋は存分に味わっていた。
すぐに出てきたビールをチビチビ舐めてみる。日本のものとさほど違いはない。
それよりも料理だ。濃厚で複雑な匂いの煙が、堪らなく食欲を刺激する。料理が待ち遠しくてたまらない。
そんな本橋がふと道路側に目をやると、いつの間にか、小さな老人が店の入口に立っていた。
ただ一人で、不思議そうな、なんともいえない顔で、店の中を見ていた。
衣服は地味な洋風だったが、整えられた真っ白な髪と長い髭は、カンフー映画の老師か仙人のような風格があった。
本橋は老人を、当然台湾人だと思った。
じきに、店の中を元気に走り回っている先ほどのウェイターが、奥から出てきた。
老人に話しかけてすぐに、言葉が通じないことに気づく。老人は何らかの言葉を発したのだが、それは台湾語でも中国語ではなく、本橋が聞いたことのない言語だった。
だがウェイターは手慣れたものだ。
ポケットからメモ帳を取り出すと、ボールペンで筆談を始めた。
そして商魂たくましく、店に引っ張り込んで座らせれば勝ちだというように、半ば強引に老人の肩を押して、満面の笑みで本橋の相席に座らせた。
他に席はいくらでも空いていたが、本橋のテーブルが一番近かったのだ。
ウェイターは人懐っこい笑みを浮かべ、台湾語で「相席、構いませんよね?」と言った。
言葉は全く分からないのだが、意味は100パーセント伝わるのだった。
見ると、ウェイターの手の中のメモには『越南』と書かれている。
「ベトナム?」
本橋は、老人とウェイターの両方に向かって尋ねてみた。
二人ともウンウンと頷く。
老人はペンを手に取ると、とても端正な筆跡で、ウェイターのメモ帳にこう書いた。
『胡志明』
本橋には読めなかった。書き終わると老人はにこやかに一言「ホー・チミン」と言った。
彼の名前でないとすれば、ベトナムの首都のホーチミン市から来たということなのだろう。
昼間ずっと英語を喋っていたので、ここでも思わず本橋は「フロム・ホーチミン?」と言いそうになり、すんでのところで止めた。
台湾では、日本と同じく、いきなり英語で語りかけるのには何の問題もない。通じなければ逆に謝られるだけだ。
しかし地獄のベトナム戦争を体験したであろうベトナムの老人に、いきなり英語はまずかろう。
気にしないかもしれないが、万が一、ひどく気分を害することになるかもしれない。本橋はそう判断したのだった。
そしてこれは帰国してから知ったことだが、日本や朝鮮半島などと同じくベトナムでも、古来より中国文化の影響の下、漢字が使われていたのだそうだ。
近年漢字表記は廃れたが、高齢の人は、今でも漢字が、つまりは中国の文字が理解できるらしい。
そもそも我々日本人が教科書で「ホー・チミン」として、片仮名で習うベトナム独立の英雄も、実は漢字で胡志明と書く。
これは中国語の当て字でもなんでもなく、れっきした本名なのだそうだ。
この漢字名をベトナム語でホー・チミンと読むだけだ。日本や韓国と何ら変わることはない。
一般にどれぐらいのベトナム人が漢字の読み書きに堪能なのかはともかく、少なくともこのホーチミンから来た老人は、漢字を使い慣れているようだ。
かくして自国語しか使えない三人の、漢字を用いた筆談による交流が始まることになる。
老人は続けて『一家』と書いた。そしてキョロキョロ人を探す動作をした。
家族とはぐれたのだろう、ウェイターも本橋もそう察した。
ウェイターは「ゆっくりうちの店で食事をして、金を使っていればいい。そのうち家族が通りがかるだろう」と笑って言った。
全く言葉は分からなかったが、意味するところは本橋にも老人にも伝わった。
間もなくウェイターが、本橋の料理を持ってきた。
肉と野菜以外にも多様な食材を使った、炒めもののようでもありオムレツのようでもある、日本では見たことがない料理だった。
とてつもなく旨そうな匂いが鼻をくすぐった。
早速、本橋は料理に箸を突き立てようとする。
と、老人は両手で本橋の右手を握り、それを制した。
驚いて顔を上げると、老人の顔はそれまでとうって変わって、非常に険しい剣幕となっていた。
ベトナム語で短く何か言っている。これはさすがに、何を言いたいのか全く理解できない。
まだ近くにいたウェイターが気づき、どうしたんだ? という顔で舞い戻ってきた。
老人はウェイターにメモ帳を要求した。
『鶏蛋』
そう老人は書いた。
本橋は首を捻る。えっと、『蛋』は、どういう意味だっけ? タンパク質のタンという漢字だとしか分からない。
少しビールで酔いかけていた本橋には、まだ老人の真剣さが十分に伝わっていなかった。
「あ、そっか」
メモ帳を老人の手から取り、『鶏卵?』と書いた。
老人は静かに、しかし力強く、ああそうだ、と頷くと、メモ帳とペンを奪い返した。
真顔になっているのはウェイターも同じだった。うちの料理になんか文句あるのか? と、ポケットから二冊目のメモ帳を取り出した。
『不要吃』
老人は本橋に書いて見せた。『吃』は「食べる」という意味だろう。つまり、食べるな、と。
理由を訊くため、どう書けばいいか本橋が考えているうちに、ウェイターがメモに何か書きつけ、机に叩きつけた。
本橋は口を挟めなくなり、ただやりとりを興味深く見守るばかりとなった。
ウェイターの紙にはこうあった。
『不好吃』不味いのか?
本橋も老人も、一口も食べてはいない。
二人して首を横に振る。
『脏』
本橋の知らない漢字だが、老人にも分からないらしい。
ウェイターは書きなおした。
『汚』不衛生か?
老人はまたも首を横に振る。
『腐敗』いたんでいるのか?
どれも違うらしい。
老人はもう一度『鶏蛋』と書き、私の料理を指さし、次に厨房の奥を指さした。
ウェイターには、もしかしたら何か思い当たることがあったのかもしれない。
厨房に戻り、コックに何か言って、銀色の大きな冷蔵庫を開けると、両手に一個ずつ卵を持って戻ってきた。
老人は、卵を目の前に付き出されると、不思議なことに少し体を引いた。
卵と接近すら、したくないようだった。
生卵の現物を見て、確信を深めたように頷いた。老人はもう興奮していなかったが、厳しい目つきは崩していなかった。
『沮咒』
老人は書いた。
またしても全く意味が分からない漢字だ。だが、『咒』という漢字は「呪」に似ている、本橋は思った。
ウェイターの顔色がサッと変わった。
店の評判に関わるからだろう、この時からはもう本橋にメモを見せようとせず、隠すようにササッと文字を書き、老人にだけメモを見せるようになった。
本橋の目には、机の上の老人のメモ帳しか見えない。
幾つかのやりとりがあり、『邪恶』と老人が書いたのが見えた。『恶』は「悪」だろうか。
ウェイターが大袈裟に両手を合掌して擦り合わせ、祈祷でもするようなジェスチャーをした。
老人は大きく頷いた。
それからさらに、老人は斜め向かいの飲食店を指さした。
途端にウェイターは「あいつら、やりやがったな!」というような罵声を上げた。
以前からの因縁がある仲の悪い店らしかった。
ウェイターが厨房の奥に入っていくと、代わりに太った店主らしい男が駆け出してきて、斜め向かいの店に怒鳴り込んでいった。
なぜ老人がそこまで察することができたのか全く分からないが、そもそも食べてもいない卵料理にクレームをつけた時点で、本橋の理解の範疇を完全に超えていた。
詳細は全く分からないが、この老人は「分かる人」だったということなのだろう。今でも本橋はそう思っている。
半分蚊帳の外に置かれていた本橋は、ぜひとも詳しい話を聞きたかった。老人と時間をかけて筆談すれば、それは可能なはずだった。
だがそのチャンスは永遠に失われた。老人の息子夫婦らしい子供連れが、老人を見つけてしまったのだ。
名残惜しそうに席を立った老人は、本橋が箸をつけていない卵料理の皿を指さし、ウェイターに「とっとと片付けろ」とベトナム語で言った。
そして本橋に、礼儀正しく会釈をすると、家族とともに夜市の闇に消えた。
ウェイターは憮然とした表情で本橋を見下ろしている。やがて、片付けるためにしぶしぶ皿に手を伸ばす。
その手を、本橋は遮った。
「いいんだ、置いておいてくれ」日本語で言った。
本橋の懐の携帯電話が鳴っていた。風俗店を出た島田からの着信に違いなかった。
ウェイターはおそらくは「どうなっても責任取れないよ」とでも言いながら、不承不承に本橋のテーブルを離れる。
テーブルの上の老人の筆談メモには、老人が最後に書いた文字が残されていた。
『鬼』
『死』
日本でもベトナムでも台湾でも、同じ意味の漢字であるに違いない。
本橋は電話に向かって言った。
「課長、こちらに来てください。美味い卵料理を出す店を見つけました。はい、場所はすぐ分かると思いますよ……」
* * *
島田は、卵料理を平らげた。本橋は違う料理を食べた。
直後、帰りのタクシーの中で、島田は顔を歪めて「気分が悪い」と言った。
「どうしました? ご病気ですか? 食あたりかな?」
「違う、体調が悪いんじゃない。本当に気分が、変なんだ。おかしいんだ。心が、すごく苦しいんだ」
島田は頭を抱えて俯いてしまった。
そうして、島田は本当にダウンしてしまった。翌日の会議にも参加できる状態ではなかった。
「病院に行った方がいいんじゃないですか」
朝ホテルを出る時、本橋は島田にそう言ったが、「嫌だ、無理だ」と呟くのみだった。
どのみち島田は英語も台湾語も喋れないので、一人では医者に病状を伝えることもできないだろう。
前日、島田は支社との交渉でありえない失敗を犯し、しかもそのミスは、帰国してから本橋の責任として報告されることが、充分に予想された。
しかしそれは回避された。
ほうほうの体(てい)で帰国した後、島田は一度も出社できないまま、謎の精神崩壊により人生をリタイヤした。
台湾の『鬼』に魅入られたに違いなかった。
本橋は、島田に失敗をなすりつけられずに済んだばかりか、辞めた島田の後任として昇進することになり、今こうして娘を育て上げ、海外旅行に送り出す経済力もある。
すべては、ホーチミンから来た老人のおかげだな。
娘の元気なはしゃぎ声を聞きながら、本橋はそう思った。