みんな咳をしている

 

 

うまくゆく

 

 丸ノ内線東○○駅。東京方面池袋行き、次の発車時刻は12時54分。どうしても乗らねばならない東京発の新幹線は、13時33分。
 新宿で山手線に乗り換えて品川で掴まえるのは無理だ。ほぼ確実に間に合わない。
 やはり東京駅に直行するしかない、それしかないのだが、東○○から東京まで正確に何分かかっただろうか? おそらく約30分。誤差は数分以内のはず。いっぱいいっぱいだ。
 なんとなれば、新幹線の切符も買っていないのだ。

 

 ちゃんと1時間前に家を出るはずだったのに。
 出がけに忘れ物やら何やらで数分、そしてどうしても必要な小物を思い出し、コンビニに寄ってまた数分。たったそれだけ、遅れただけなのだ……。それなのにこんな羽目に陥ってしまった。

 

 丸ノ内線新宿駅で大勢の乗降客に翻弄され、四ツ谷駅の長い停車に苛立つ。地下鉄は遅々として進まぬわけでもなく、短い走行と停車を繰り返し、ダイヤ通り着実に東京駅に接近している。これ以上望むべくもない。しかし、同じく着実に冷酷に、時計の針もどんどん進んでゆく。

 

 丸ノ内線東京駅を飛び下りる。時間は1時24分。
 新幹線乗場の案内を見て走る。東京駅の構造は未だに謎だ。来るたびに変わっている気がする。何度来ても頭に入らない。
 幸い、今回は正しい改札から出られたようだ。三度に一度は東京駅をたっぷり5分はかけて大回りしている。
 さて、緑の窓口と自動切符売り場、どっちが速い? 数秒迷って自動券売機に走る。ここで途惑うとまた数十秒の遅れが出るが、今回はスムーズに買えた。乗車する新幹線の号数も間違えなかった。
 新幹線乗場はどこだ? またとりあえずこちらであろうと思われる方角に走る。
 何だかぐるっと遠回りしたような、嫌な予感がする。
 案の定、案内板を見たはずなのに、何度か人にぶつかり辿り着いたのは、東北新幹線改札。東海道新幹線を探してさらに1分のロス。
 今や時計は32分。残された時間は僅かにあと1分。新大阪行のホームへの広い階段を駆け上がる。その階段が思いのほか長い。息が切れ、脚が止まりそうになる。
 階段の半ばで、発車のベルが耳に入ってくる。
 もうダメか? 足を無理矢理動かし続ける。どうしてもこれに乗らねばならないのだ。
 ホームに登りつく。人影がほとんど無い。発車間際の変に厳粛な空気が心を萎えさせる。不用意にドアを開けたら会議中だったかのような、場違いな感じ。しかし、こちらはさっき高い金を払った乗客だ。図々しく振る舞ってもよいのだ、と思い直す。問題の新幹線の車両を見る。もう発車ベルが止んで10秒ぐらい経っているのに、まだドアは開いていた。
 0.5秒でひかりという名前と新大阪行という表示を確認して、飛び乗る。乗った直後ドアが閉まる。

 

 なんとか、ギリギリ間に合ったな……。
 胸を撫で下ろすが、全力疾走した息が全然静まらない。人目を気にして、無理矢理息を押さえようとするが、酸欠で苦しいだけだ。諦めて、大きな息をしながらズボンのポケットに手を突っ込む。幸い、ハンカチが入っている。普段滅多にハンカチなんて持ち歩かないのに。それを用いて額や首筋の大粒の汗を拭く。

 

 噴き出る汗が止まらない。急に走り酷使した膝や足首がガクガクする。ふらつくように一歩足を踏み出したら、自動ドアが開いた。狭い連結部から、客室に入る。自動ドアから一番近い席が、用意されていたように空いている。そういえば、大慌てで買った切符はとりあえずの自由席だったが、たまたま飛び乗ったこの車両は、たまたま、数両しかない自由席の客車なのだった。
 小さな旅行バッグを開け、緑茶のペットボトルを取り出す。蓋を捩り開け、ゴクリと飲む。ずっとバッグに入れていたにしては冷えていて、とても有難い。今日買ったのは間違いないが、どこで買った物だっただろうか。夢中で、続けて半分ほどを一気に飲んでしまう。
 あっ! 急に小さな不安に襲われる。財布を持って来ただろうか? この冷たい旨いお茶の代金が払えなかったらどうしよう……。
 そしてすぐ我に返る。いや、このペットボトルは、お金をすでに払ったからこそ今バッグの中に在ったのだ。ここはレストランじゃない。それに、財布を持っているから新幹線の切符も買えたのだし。
 一体なぜ、こんな変な思考が心に浮かんだのか?
 それは、ハンカチもお茶も、誰か他人に用意してもらったかのような都合の良さだったからだ。レストランでコース料理を次々給仕してもらう感じと似ていたからだ。

 

 馬鹿馬鹿しい勘違いだ。急な運動で今は頭が馬鹿になっているのだ。しかし、そう納得しても、落ち着きが取り戻せない。
 心がザワザワと波立つ。
 ……待てよ。今日はそもそも、うまくいきすぎてやしないか? 何なんだ、これは?

 

 思えば、東海道新幹線改札から、この車内まで、するすると道が開けるかのようだった。ひたすら足を動かして、自動的にこの車内に辿り着いた。タイミングは完全にジャストだった。息が切れることを別とすれば、まるでムービングウォークで運ばれ放り込まれたかのようだ。うまくいきすぎている。
 さらに思えば、東○○駅からここまで、何かに操られ誘導されたかのようだ。丸ノ内線は時間通りに走り、その改札を出てからも、おそらくこちらだ、という推測がことごとく的中した。唯一、遠回りだ、しまった、と思った東北新幹線乗場も、実はあれが最短ルートだったのかもしれない。いや……、そうに違いない。
 走り続け、汗が噴き出していたのに、今や、全身の皮膚が粟立っている。
 ……はめられた……。

 

 通常通り、聴き慣れた日本語と英語のアナウンスが流れ、静かに新幹線は動き出す。その直後、すっと車内が暗くなり、トンネルのようなところを通過したのが分かる。すぐに何もなかったように明るくなる。再び太陽の下に出たのだ。また数秒のトンネル、また十秒ほどの青空。規則正しく、これを何度も繰り返す。
 東京駅周辺に、こんなトンネルは無い。断じて、無い。
 震えが止まらない。新幹線の緩やかで力強い加速に伴い、トンネルの間隔もだんだん軽快に狭まっていく。それがたまらなく怖い。
 おそらくは時速100kmを超えている。数秒の青空と一瞬の暗転が、依然として極めて規則的に続く。そのフラッシュのような現象が極限まで速まる。動悸も極限近くまで速まっている。
 だがその一方、これはもしかしたら、目か頭の異常であって、新幹線の異常ではないのではないか、という冷静な疑いも心の傍らに浮かんでいる。そう信じ込もうとすることで心の平安を取り戻さねば、心臓が止まってしまう、それぐらい怯え切っている。
 そして、遂に。

 

 〈バンッ!〉

 

 確かにそういう音を聞いた。いや、実際の音であったか、ただの衝撃であったかは、分からない。十数度目の暗転。しかし明るくならない。窓の外を見ようとするが、頭が、首が硬直して動かない。必死に眼球だけを横に向ける。
 窓の外は真っ赤な肉の色に染まり、窓の極めて近くを通過する壁は、舌の裏か内臓を思わせる太い血管が不気味に脈打ってさえいた。高速で疾走する車内から、確かにそれを見た。
 気がつくと、通常の、ごくありきたりな、晴天の車窓風景に戻っていた。白っぽいビルの並び、青空。
 取り返しのつかない段階に完全に足をつっ込んでしまった、という感覚だけが、悪い酒のように頭の中で淀み続けている。

 

 

大いなる轢断の始まり

 

 ひかり号の車内は、少なくともこの客車は、ほぼ満席だ。誰一人車窓に怯えている者などいない。

 

 招待されてしまったようだ。新幹線に? いや、この新幹線は〈入口〉に過ぎない。
 ただし、地獄巡りをさせてくれるほど悠長ではないだろう。もう直に、もしかしたら一秒後に、終りは来る。大勢の暴漢から同時に刃物を突きつけられたような、切迫感。嵐の海の真ん中に放り込まれたような、圧倒的な無力感。つまり、分厚い氷の一枚板のような、絶望。

 

 他の客の話声がいくつも混じって聞こえてくる。脈絡の全体は聞き取れないが、皆そろってろくでもないことを囁き合っている。平然と。
「どんどん細長く緑色っぽくなりますよ。目を疑う。うふ。生理が上がったんだ」
「耳から鼻から糸が出てくる。それってもう第三ステージなんだってね」
「なんでばれないと思ってるかな。あんなに溶けちゃってるのにな。陰で笑われてるの、本当は気づいてるんだろうな」
「あいつ、もう××だってさ……。俺の知り合いもさ……」
「もっともっと針刺してよ。そっちの錆びた太いやつ取ってよ」
「××××って毎日毎日……。黒人だろ、結局悪いのは……」
「コーラ? ビール? どっちにするのよ? もう! 死んでよ」
 子供の声も聞こえる。口調は幸福な若い親子のそれだ。幼子は笑いはしゃいでいる。
「お母さん、……ガンサイボウ……」

 

 にぎやかだ。明るい活気に満ちている。休日の昼下がりなのだ。
 そして、取り返しがつかないことになっている。〈次の段階〉に、全体が落ち込んでいる。そうだ、あれだ! 大轢断に突入しつつあるのだ!
 そう言えば前回の大轢断から、ちょうど五年ぐらいだ。日付を忘れたがあの日、東京でその冬最後の雪が降った。東京では数年に一度この時期に大雪になるんだよなあ、と思った記憶がある。
 ということは、あれはやはり三月上旬。もしかして日付までぴったり、今日でちょうど五年なのかもしれない。だとすれば、もうどうしようもなく、まずい。きっとそうだ。日付までぴったり同じだ、間違いない、という気がしてならない。

 

 だが、大轢断、とは結局何だっただろうか?
 そうなのだ。大轢断とは何なのか、それだけが思い出せない。
 深刻な社会的事件? 人類全体の危機? 多分少し違う。その結果、どんな影響を受けた? やはり何も思い出せない。
 それでも、抽象的に、極めて禍々しい、起きてはならない出来事の名だったということだけは確かな気がする。例えるなら……。そうだ。人肉食のようなタブー……。そんな種類の厄災が発生したのだ。一線が、踏み越えられたのだ。
 もう、それより前には帰れない。

 

 人肉食、タブー……。大学時代、講義で聴いた話を、また思い出している。
 日本語の動詞は、言語哲学の行為論的分析において、いくつかに分類できる、らしい。いや、動詞が分類できるのではなく、用法に違いがある、ということだったか。遂行用法、完了用法、あとなんだかかんだか。もうあらかた忘れてしまったが。文化人類学のタブーについての講義ではない。日本語の論理分析の講義での話だ。

 

 ……人肉食がどれだけタブーかというと、「食べる」という動詞の用法が微妙に違うぐらい、やばーい。
 『今週、肉料理を食べましたか?』 これは「食べる」の通常の用法、完了用法。はい、と答えた人は少なくとも一食食べ終わっているはずです。食べる、は通常、食べ終わる、を含意する。
 一方、『人肉を食べましたね?』 これは遂行用法。一瞬でも、一口でも、口にしたらアウト。完食したか、それとも後悔してすぐ食べるのをやめたか、口にした瞬間吐いたか、そんなことは誰も訊いてません。そのどれであっても、人肉を食べたことには変わりない。全員アウトです……。

 

 やっちまった……、もう取り返しがつかない、という気分に陥った時、しばしば、この「食べる」の話を思い出してしまう。

 

 先ほどの元気な子供が、おかあさん、シツメー、シツメー! と騒ぐ。大人の優しい笑い声がそれに応える。新幹線の客は、朗らかに会話を楽しみながら、間違いなくこちらの様子を窺っている。全員が。

 

 窓の外を見る。いつの間にか新幹線は停車していた。もしかしたら、東京駅から全く動いていなかったのか? すべてはただの、一瞬の悪夢だったのか?

 

 そんな淡い希望的憶測もすぐに萎んで消える。先ほどの東京駅の発車直前の、人影まばらなホームと異なり、乗客が列をなして降車し、別の列は乗車できるタイミングを待っている。
 ここはどこの駅だ? ホームの上にぶら下がっているであろう巨大な駅名表示を探そうと、窓に顔を近づけ、姿勢を低くして一生懸命見上げようとする。だが、その姿勢が非常に無様で、周りの乗客がみんな嘲笑っている、そんな不安に襲われ、すぐにあきらめる。

 

 あと一分もせず、この新幹線は発車するだろう。
 このまま、乗り続けられるはずがない!
 閉まろうとする新幹線のドアが、永遠の牢獄の重い扉のように思える。衝動的に席を立ち、焦って足をもつれさせながら昇降口に向かう。背後で子供の明るい声が聞こえる。
 「おかあさーん、トゲトゲ虫が逃げたよー」
 自分のことを言われているのだとしか思えない。乗車しようとする客を掻き分けホームに転がり出る。みんなこちらに無関心なようでいて、内心は舌打ちをしているようにしか思えない。
 そう言えばバッグを置いてきてしまった。今頃小馬鹿にされているだろう。そして間違いなく、バッグは勝手に開けられ、中を見られているだろう。その場面をまざまざと想像してしまう。みじめで悔しくて仕方がない。

 

 

みんな咳をしている

 

 巨大な駅の構内を小走りで急ぐ。
 ここが品川なのか新横浜なのかも分からない。もしかしたら新大阪に到着してしまったのかもしれない。「大轢断」という言葉は、鉄道とは関係ない。それは分かっている。だから新幹線を降りても助かるわけではないのだ。もうそれは始まっていて、止められも逃れられもしない。例えば、人肉を食べた事実から誰も逃れられないように。
 それが分かっていても、じっとしていられるはずがない。

 

 見かける駅員が全員、視界の隅で挑発をしてくる。こちらを睨み、あるいは指さし、今にも襲いかかってきそうな権幕だ。警棒のような物を振りかざしている駅員すらいる。だが、目を向け注視すると、こちらに何の興味も無いように、つまらなそうにあらぬ方向を向いているだけだ。
 なのに、また目を逸らすと、すっと視界の隅に現れては、逮捕するぞ、ぶち殺すぞ、とでも言いたげにこちらを威嚇してくるのだ。怯えてそちらをまた見ざるを得ない。彼らは、普通に淡々と職務をこなしているだけだ。白々し過ぎて、怖い。そのわざとらしさと余裕が果てしなく怖い。
 こういう遊びを子供の頃にしたものだ。缶蹴り、いや違う。だるまさんが転んだ、だ。子供特有の残酷さ、嗜虐心の発露。集団イジメと極めて似た心理状態で嬉々として遂行されるゲーム。よほど心が太い子供か、鈍い子供にしか、鬼は務まらない。

 

 駅員たちから逃れたい一心で、いつのまにか改札を出ている。新たな責め苦が待っているだけだというのはもう分り切っているのに。

 

 雑踏のど真ん中にいる。老若男女、ファッションも国籍も多彩。なぜこんなに大勢の人が集まってきているのか、気味が悪い。それすらわざとらしく思えて仕方がないが、いや、これは当たり前の休日の光景だ、と自分に言い聞かせる。意識して正気を保とうとしないと、心が壊れてしまいそうだ。

 

 そして、気づいてしまった。
 すれ違う人が、続けて五人、眼鏡をかけている。続いて数人の裸眼、また眼鏡、眼鏡……また五人。数人の裸眼、五連続眼鏡。眼鏡、眼鏡。

 

 もうそろそろ本格的に終わりだ。
 理不尽で圧倒的な力が迫っているのは、疑う余地がない。

 

 例えば、地が裂け天が割れる、目の前に巨大な悪鬼が現われる、ではなく、眼鏡。五連続眼鏡。その下らなさに屈辱感がいや増す。虚仮にされている。
 仮に銀行強盗の人質にでもなるとする。その時、相手が真顔で緊張して銃を向けているのと、ガムを噛みながら、あるいは欠伸をしながら、あるいは耳垢を小指でほじくりながら銃を向けてくるのと、どちらが酷い殺され方だろうか。言うまでもないことだ。
 五連続眼鏡。これはガムであり欠伸であり、耳掃除の方に違いない。
 ふざけた、やる気のない、しかしありえないぐらい強大な力の顕現。自分が、吹けば飛ぶような塵芥になり果てた惨めな気分。

 

 しかし……。あなたは、少し考えてみる。思索に内向することで少しでも恐怖を忘れようとしている。
 圧倒的な理不尽な力が迫っている? 何に? 〈あなた〉に? それとも〈あなたのこの世界〉に? ……どちらでも同じことだ!
 誰に、虚仮にされている? あるいは、何に? 〈世界を俯瞰する誰か〉に? それとも〈世界そのもの〉に? ……これも、どちらでも同じことだ!
 思考は事実を覆し得ない。思考は、虚しい。

 

 気がつけばここは、駅の地下のショッピングモールだろうか、華やかな店舗が並ぶ、極めてにぎやかな通路を彷徨っている。あなたはもう、とうに走れない。
 人通りは多い。眼鏡の人々が目につかなくなった。だがホッとする暇もない。
 三人ほど、異様に顔が小さい人とすれ違う。顔全体が大人の握り拳ほどしかない。それが見間違いなのかどうか、振り返って確認する勇気が出ない。
 前方から歩いてきた、談笑している若者の集団の一人だけが、皮膚にベッタリとペンキを塗ったように、青紫色だ。今度は目が逸らせない。唖然として、いや、きっと絶望に顔を引き攣らせて、その顔を見ていたら、あなたをジロリと睨み返してくる。
 見回せば、他にも何人もいる。青紫色の顔のまま、歩み去る婦人、子供、中年男性。みな、普通に会話やショッピングを楽しんでいる。

 

 あなたは頭を抱えてしゃがみ込む。声を殺し、さめざめと泣く。それで許されるはずもない。薄汚れたタイル張りの床から、南国のフルーツの匂いが淡く立ち上っている気がする。何という名前の果物だったか、思い出せそうで思い出せない。きっと、決して思い出せないのだろう。

 

 不意に一瞬、静寂が訪れる。いや、これは鼓膜がおかしくなったのだ。東海道新幹線が富士山の脇を通過する時、一時的に線路の標高が高くなって耳鳴りがする。……、しかしもう新幹線は降りたはずだ……。

 

 ゴホンッ。
 ……コホッ。
 ケホンッ。

 

 遠くから、近くから、あちらこちらから控えめな咳が聞こえる。
 いつからか、通行人も、お菓子の売り子も、アパレル店員も、ホームレスも、みんな咳をしている。
 もちろん、毒ガスが噴霧された、とかそういう大それたことではない。当人も無意識であるかのような、軽い、咳払い。誰も行動に支障をきたしていない。誰も気にもしない。そんな軽い咳。それが、あちらで、こちらで、爆竹に火がついたように。

 

 ケホッ。……ケホン、ゴホン、ケホン……ゴホ、ゴホン……。

 

 しゃがみ込んだままの姿勢で、顔だけを上げてキョロキョロする。
 みんな、咳をしている。

 

 あなたは再びガックリと顔を落とす。両耳を覆う。……責め立てられている。嘲笑われている。
 ああ、もうダメだ! 遂にその時が来た! そしてその時が、本当に来る。

 

 ……〈ガクン!〉

 

 不意に、あなたは嫌な衝撃を感じる。ググググッという軋みのような重低音が頭の中に響く。新幹線の肉色のトンネルで感じたそれとは比べ物にならない、図太い衝撃。
 実際に物理的に揺れたわけでもないのに、尻もちをつきそうになって慌ててこらえる。
 それと同時に、一瞬だけ〈世界〉が暗転する。通行人が、色鮮やかな看板が、案内板が、うつむいたあなたの上で、全て赤黒い肉の色に変わる。
 クリーム色の床も、あなたの両腕と膝、爪先さえも。そして、見えていないが、間違いなくあなたの全身も。

 

 暗い、非常に確固たる確信が心の底まで染み渡る。じきに〈世界〉の色彩は元に戻る。
 〈この世界〉が元の位置からまた〈ズレ〉た、という確信。

 

 ……あなたはやっと思い出すことができる。これが、大轢断だ。
 〈あなた〉の〈この世界〉の全体はまた、動いてはならない方向に動いた。また一歩、確実に〈より悪い〉方向に落ち込んだ。元通りに戻せるはずもない。取り返しなど、つくはずもない。

 

 あなたは立ち上がり、顔を上げる。
 何も変わりはない。ただの、休日の巨大な地下街だ。
 低い天井の生気の無い電灯の光が、さらに一割ほど、明るさを失っているように感じられて仕方がない。

 

(2013年 3月)