『懶惰(らんだ)なる山河、山々の襞』 序・土葬の山系 (「私の若州」改題)

 

 


   月命日


 チヨは、若衆(わかしゅ)が品定めの目を彼女の体に這わせる歳の頃になっても、生まれ育ったその島から出たことがなかった。その島に一つしかない小集落の、他の子供たちと同様であった。
 単に「大島」と呼び慣わされる島であった。この辺りで一番大きいというだけのことで、人の住めるひらけた土地など、一つの村を形成するほどの広さもない。こんもりと黒い岩が小山のように盛り上がり、その上にどっしり根を張っているのは多くが捩じれくねった松である。対岸から見れば海原に忽然と出現した緑の山そのものの趣、無人と教えられれば誰も疑わないであろう。だが実際には、僅かの住人が、島の裏側、すなわち陸(おか)とは反対の、大海に面した側に大昔から住み着いていた。ほとんどの者が互いに濃い血縁関係にあった。
 この島から陸まで、さほどの隔たりがあるわけではない。漁師の船や物資を運ぶ荷舟は、しばしば海を渡るのであるが、それらは女たちには縁の無い仕事であった。島の外に用の無い女連中にとっては、黒い荒々しい大岩に囲まれ、わずかな平地に百人足らずが寄り添うように寝起きし、小さな畑と海産物で自給自足するその島が、生涯を送る世界の全てであった。

 チヨは、ひそかに島を出たいと思っていた。陸では、年中餅を喰えると聞いてしまったからだ。実のところそれは、酔った漁師たちの戯言に過ぎなかったのだが、チヨが思い描いた楽しげな光景は、心に焼き付き、いつまでも消えてくれなかった。
 チヨは生まれた時から、祖母と両の親と共に暮らしてきた。父は毎日海に出る。母は漁の収穫の加工と家事。畑仕事が祖母とチヨの仕事であった。祖父はチヨが生まれるずっと前に死んだ、と聞かされていた。
 祖母のタエは、毎月の二日に、一人で山に入る。山裾の畑の奥の、チヨの目にはどう見ても山道の始まりには見えない場所、しかし毎月正確に同じ場所の、背の高い茂みを掻き分け入っていって、しばらく姿を消してしまう。
 チヨは幼い頃、後を追おうとしては追い帰されたものだった。結局、大きくなった今になっても、一度たりとも同行を許されたことがなかった。そんな祖母に、月に一度の行動の理由を問うと、その日がタエの亡き夫、すなわちチヨの祖父の月命日なのだ、とだけ教えてくれた。
 チヨは一度だけ祖母に、いつの月が本命日なのか、と尋ねたこともある。タエの顔は曇り、遠い目をして怯え、口を濁した。それっきり何も教えてはくれなかった。

 チヨが十四の夏、タエは突如床に臥せ、二日ほど苦しい息を吐き続けてあっけなく死んだ。
 タエの埋葬から半月ほど過ぎた頃、チヨは暦に目をやって、ハッとした。
「あらら、明日、二日やが」
 祖父の月命日が翌日に迫っていた。
 だが、父も母も、タエが一人で山に入っていたことを、そもそも知らなかった。

 次の日、チヨは、父母には何も言わず、祖母タエの道を辿って一人裏山に入ってみた。
 分かっていた通り、道とは呼べない岩と土と植物の縺れ合った悪斜面であったが、ここしか歩けないというところが一筋だけあり、それが道なのだろう、とチヨは悟った。
 意外なことに、登りの道はすぐに大きく折れて下り坂に転じた。たちまちチヨの眼下に真っ青な海が広がった。
 大岩の裂け目の向こうに、狭い白い砂浜が見える。祖母の道は、そこに通じていたのだった。人一人が大の字になれば塞がってしまうような、小っぽけな浜であった。
「変やでや、こんなとこに、爺様のお墓あるやろげか」
 チヨが見回すと、二本並んだ松の古木の裏の茂みに、たらい舟が隠されていた。小柄な女一人しか乗れそうにもない、頼りない代物(しろもの)だった。何十年にも渡って繰り返し繰り返し、海からその隠し場所に引き摺り上げられていた形跡があった。

 海は凪いでいた。雨雲も見えなかった。チヨは迷うことなく、たらい舟を水際まで引っ張り、浮かべ、草鞋を脱いで乗り込んだ。
 自分たちの暮らす集落の船着き場とは逆の方向に向かい、手で水面を掻く。まさかこんなたらい舟で沖に漕ぎ出すわけにはいかない。たちまち大波でひっくり返ってしまう。せいぜい浅瀬を岩陰に沿って辿るしかなく、山道と同じでこれしか道が無いのだから、こちらに行くしかないのだろう、とチヨは思った。
 じきにチヨは、自分の考えが当たっていたことを知る。これまた、外部に通じる道の無い、大木と岩壁に閉ざされた、隠れた入り江に行き当たったのである。チヨが漕ぎ出した砂浜から、大岩を一つ二つ越えただけの所だった。だが、こちらは結構な広さのある入江だった。たらい舟の綱を結わえる杭が、そこにはあった。

 チヨが上陸し顔を上げると、すぐ近くに、粗末な漁師小屋があった。
 潮風に荒れ、半ば朽ち果てたかのような古い汚い小屋であったが、生活の気配があった。独りで暮らし続ける小屋のあるじが、そこでチヨを待っていた。
 その者は、人でも獣でも海鳥でもなかった。かといって影のような薄ぼんやりしたものでもなかった。顔も体も真っ黒だったが、それが毛で覆われているからなのか、そうでないのか、近くで見ても判然としなかった。小屋の中は、おそらくはその者の発する臭いであろう、集落の漁師小屋よりもはるかに磯臭かった。
 チヨは、ちょっとした出来心から祖母の道を辿ったことを、心底悔やんだ。たらい舟に乗ったことを、心底悔やんだ。

 その者は、当然のようにチヨを迎えた。無言でチヨを招き入れ、後は全て、チヨがするに任せた。チヨが何かするのを、ただ待っているのだった。
 チヨは、祖母のタエに育てられたのも同然だったので、何となく、ここで何をするべきか、その次に何をするべきか、次々に分かるのだった。

 チヨは、祖母の後を継がねばならないことを悟った。これからも、おそらくは死ぬまで、月に一度決まった日にここに来ねばならないことを悟った。陸で毎日餅を喰う暮らしは、もう決して望めない、ということを、悟った。



   御社(おやしろ)様


 その集落は川に面し、そこそこ広い田圃を持っていた。ゆえにその土地は、安田、と呼ばれた。もとより貧しいこの辺りでは、集落がめでたい名で呼ばれること自体が稀であった。現に、安田の隣は岩田、その隣は山下、石原といった具合である。
 だが安田の集落の御社(おやしろ)の秋祭は、近隣のもっと貧しい集落のものと比べても、とりたてて派手なところもない、のどかでありきたりなものだった。そしてその祭は、どこにでもあるような、いまや意味が誰にも分からぬ形式的な神事を含んでいた。何十代人々が生まれ死んでも、変わらず毎年ただ型をなぞるように、受け継がれてきた段取りであった。

 ある年の夏の終わり、切れ者で鳴らす安田の有力者、久右エ門なる男が、神事の或る過程を一つだけ省く決定を、祭の前の寄り合いで、強行した。久右エ門の一人娘、九つになるハナをかばってのことであった。
 その祭では、例年、十に満たぬ娘子に神楽舞を舞わせ、その後さらに役割を一つ託すのだが、安田の集落ではハナの後にしばらく男児が続き、ハナより下の娘は今年でまだ四つ、ハナはここ三年続けて大役を強要されている。そして、今年こそ、もう嫌だと泣きじゃくる。
 そこで久右エ門が改革を提案したのであった。

 その神事の一つが省かれたことを、集落の人間の殆どは、知ることもなかった。そもそもが祭事の段取りの非公開の部分に属する過程であったし、立ち合いの神主や村の古老ですらが、苦い顔をしたきりで、口を閉ざしたからである。
 ハナは、祭の華の神楽舞を無難にこなした。幼いころから仕込まれ、人前で舞うのももう三度目である。昨年まではその舞の後、装束を解かずその足で奥の社に籠らされる。そこで御神体と対面し、いくたりかの見届け人だけを前に、しきたりに則って儀式めいたことを行った。それだけのことが、その年は省かれたのだった。久右エ門は、舞を終えたハナをおぶって、そのままつれ帰った。祭りの前からの決め事であったから、咎められる者はいなかった。
 久右エ門も見届け人になるにはまだ歳若かったので、本当のところは、一度も奥の社の中で何が行われるのか知らなかった。御神体を見たこともなかった。三度目の祭を前に、怯え泣くハナをきつく問い質しても、筋の通る答えが聞き出せないのだった。

 安田ではその年、十代から四十前まで、老いも若きも嫁たちが次々に孕み、翌夏には八人もの子宝に恵まれ、珍事じや、安田は、子安田じや、と、集落が喜びに溢れた。
 だがその子らは皆、数え年で二つになる直前の年の暮に、ゼンマイが切れるように、相次いで死んだ。しばらく集落から笑い声が絶えた。

 ハナは成長して同じ安田の集落の、別の有力者の家に嫁いだが、二度続けて猿にしか見えぬ黒い毛むくじゃらの子を産み、二度とも産婆がすぐさま、産湯に沈めて返した。
 気のふれたハナは、三度目に孕んだ子の産み月に首を吊った。
 縊れ死んだ母の股から死んでこぼれ落ちた子には、毛など生えていなかった。

 久右エ門は以来、生涯、木彫りの像のように表情を失った。ハナの縊れ死んだ次の年から、自分一人が祭の見届け人を務める、と言い張り、その立場に、八十で死ぬまで居座り続けた。安田の娘子も親も、誰一人、この思い詰めた老人の指示には、一切逆らうことができなかった。

 久右エ門によりいったん廃止せられ復旧された祭の段取りは、老人の死後も末永く継承された。



   誰にも出会わない


 独り言をねや、うってり[うっかり]言うてしまうのは、感心せんが、仕方ない。人の性(さが)やでや。せやが、独り言を言うてしもうたら、その日ぃのうちに、誰でもええ、誰かぁと、話せえへんとあかんのやでや。

 しかし、誰にも出会わない日というのがある。山中の、数戸の家が疎らにあるだけの小集落なら、なおさらだ。山と山がせめぎ合うその隙間の、細い襞(ひだ)のような狭い土地に、僅かな人々が住み着き集落を成している。そんな集落からさらに山の中腹に分け入った窪地、国境の峠からも遠く外れた、木々と土しかない山人の小集落、そこで平作は生まれ暮らしていた。
 家の者皆に先だたれ、一人暮らしで嫁のあても無い三十やもめの平作は、その日、水を汲みに行っても山に行っても誰にも出会わなかった。
 朝、なぜだか死んだ母の夢を見て、やおら寝起きに、「おっかあ、また、朝から暑いよなあ」と寝呆け声を張り上げてしまった平作であった。しまったことをしでかした、と一日中なんとなく気にしながらも、いつもの通りに独り山菜など採って帰ってきてしまった。

 朝方や仕事中に独り言を言ってしまったら、家人でもよいし、あるいは隣家を訪ねてもよい、とにかく誰でもよいから、他人と話をせねばならない。他愛ない話でも、もちろん構わない。そうしないと、どうにもし難いことになる。
 平作が幼いころ、祖父はそう教え、家の者は皆、それはとても大事なことだと言いたげに頷いていた。

 その日に限って誰にも出会わなかった平作は、独り言を言ってしまったことを、夕餉の支度をしドブロクを飲むと、しばし忘れてしまった。そうこうしていたら、少し離れた隣家の灯も消えた。夜も更け、四方の山は寝静まる。
 平作は、いつも通りに薄い布団に入ってから、朝の独り言のことを思い出して、少し不安になった。
 まあ、ええわい。どうせ寝てまえば、いつもと同じ朝が来るだけじや。どうせ何にも起こりゃせんじや……。これは心の中でだけ呟いた。そして平作は、目を瞑った。

 独り暮らすには広い平作の家の前で、何度か声が聞こえた。足音や物音は無かった。誰かの声だけが、渦巻いていた。
 それは最初、何でもない、脈絡も分からない言葉であった。
……もうこう暑うなると山に入るのも、のう……
……あほう、違うげな、あれは本家のお婆やろげ……
 近隣の誰かが言葉を交わしているだけのようでいて、平作が知る誰の声でもなかった。
 誰よ、誰が居(お)りなさるんよ、目を覚ました平作は、そう声をあげる寸前で、自分の口を押えた。これ以上独り言を重ねてはならない、そう気づいた。しかし、手遅れであった。

 誰のものでもない声は、表口でいくつか聞こえた後、家の周りをうろつき始めた。そして、平作に明らかに呼びかけ始めた。
……なんで入れてくれへんの、そんなんやさかい、このお人は……
……あきれたことやでや、返事もせんで。どこの御大尽やんの……
 自分の気が違った、という感じは到底しなかった。どうにもし難い者たちの訪問を、現に受けている、そのようにしか思えなかった。
 まさか外に飛び出すわけにもいかず、平素の生活を取り戻すために、平作は囲炉裏の喰い残しの雑炊の蓋を取った。腹が張れば眠れるかと思った。これが生々しい悪夢であることが、唯一の淡い願いだった。
 目の前の雑炊の鍋の中から、声が漏れた。
……もう遅い、もう遅いて……
 平作は慌てて鍋の蓋を戻した。力の加減を間違え、鍋はひっくり返った。その鍋から何やら今も声が続く。平作は這いずって鍋から離れると、ドブロクの甕に飛びついた。震える手で甕の口を開けた。
 甕の底から、声が響いた。
……呼ばれたさけえ、来ただけやが……

 平作は、囲炉裏の火箸を手にし、そこに鬼でもいるかのような勢いで、自分の両耳を突いた。これでようやっと、なんも聞こえんようなったげ……、平作は安堵し、闇に落ちていった。

 自ら耳を塞いだ後、平作はその場に、小便を漏らし、口をあんぐり開けて、倒れ込んでいた。耳の穴から太い血の筋がだらしなく垂れ出ていた。平作の手足が冷たくなり、全く動かぬようになった頃、平作の大きく開けた口から、誰のものでもない低い声が響いた。
……なんや、しょうもないでや。呼びかけてくだすったから来たゆうのに、誰も居りなされんでや……

 

(2013年 5月)