人豚




 ジントン、ってご存知ですか? ええ、そうです。人の豚、ですな。
 先生(せんせ)、そういう話お好きでしょ。古代中国の歴史やか伝説やか、まあ簡単に言えば残忍な刑罰みたいなもんらしいですな。そうそう。両手両足を切断して、けどうまいこと生き永らえさせて、豚みたいな生活を強要するていう……。ええ、あれは惨たらしいもんです。

 まるで見てきたように言う、ですて? ほっほっほ。私な、実はこの前の旅行で、見てきたんですよ。そうそうそうです。○○地方行った時です。

 最初からね、私は嗅ぎ回っとったわけです。まずA市の旅館でね、話好きの番頭さんつかまえてね。「この辺りで、表に出せんような怪しげな、猟奇的な、そういう話ありませんかね」てね。年中、全国、どこ行ってもやることや。いつもの習慣みたいなもんですわ。
 そしたらね、この辺はのどかな平和な土地柄やし、殺人事件とかもトンと聞かん、そやけど、B村には、何やらとんでもないモノが「おるらしい」と。
「ある」やなくて、「おる」と。
 けど、それ以上、何も分かりませんのや。多分この番頭さん、ほとんど何も知らんくせに、もったいぶって、これ以上は私の口からは、とか言うて、隠すような素振りなんです。まあ、話半分、面白いもんがあったら当たりやと思うて、向かいましたがな、B村いうところに。
 A市から全然近くもなんともない。一応ギリギリ同じ県やいうだけで、山の中何時間も車で走りましたで。往生しました。

 B村ね、多分人口百人もおらん。本当に孤絶した山の中の小さな集落やったんです。
 私みたいな者(もん)が、ここでもやるこというたら、いつもと同じや。車は適当に村の近くの茂みにでも隠してね、登山者のふりして、歩くわけです。そんで、大人に逢いそうになったら、身を隠す。標的は、そうです。いつもと同じです。村の子供や。身を隠しながら、村の子供と偶然、はは、偶然に、や、出逢うチャンスを狙うんやね。まるで人さらいやな。大人は他所者を警戒する。子供からしか、こういう情報は聞けません。
 子供は素直や。正直や。虫かご持った真っ黒な子にね、「この辺りに怖い家あるて聞いたんやけど、どこ?」いうてね。そしたら、「そこ」いうて、簡単に教えてくれるんや。さあ、何があるんやろ、てとこですわ。

 その小屋な、普通の民家の敷地の中にあるんです。そんで、中から、奇妙な声が聞こえるんです。けったいな笑い声や。話し声も聞こえるんやけど、意味も脈絡も分からんから、多分、独り言や。キチガイの、独り言です。それがな、若い女みたいな声色なんや。
 こりゃ何やろ、座敷牢やろか、覗いてみよ、てなもんで。
 生垣越えたら、もうすぐそこに窓があるんですわ。第一、表の道まで声が漏れとるんやし、そもそも隠す気もないんですな。……はい。もちろん、覗きました。そりゃ、ただの気の毒な方の病室やったらそれまでのこと、もしかしたら、話のタネに出会えるかもしらん。いつもの方針通りです。

 そしたらね、おりました、おりました。私、はあー、いうてね。驚いて、感心しました。これが、人豚、ゆうやつか。
 様子がね、もう何から何まで尋常やないから、歳はよう分からん。十代か二十か三十か、まあ、まだまだ体の綺麗な、若い女の人や。
 それがな、裸なんや。丸裸。真夏やったから、暑いし裸にしてやっとったんか、年中裸なんか、そら知らしません。
 そのな、女のな、……両手は肘の少し先、両足は膝の少し先から、……有らしませんのや。ええ、四本とも。そやから、肘と膝がヒヅメ代わりや。
 そういう女の人がな、家具も何もない小屋の中で、笑うたり叫んだりしながら、ぐるぐるぐるぐる、うろうろしてまんの。床は、板張です。寝床やろか、布団ぐらいはあったかな。
 え? そうです。そうでっせ。丸裸や言いましたやん。真っ白なおっぱい、丸出しや。そやけど、向こうさんはアレな人やし、窓の私と目が合うても気にもしません。逃げも隠れもせんと。まあ、いうたら、傍らに人無きが如し、や。
 え? 下半身? もう、スケベなおっさんやな。丸見えか、て? そりゃ気になりますやろな、うふふ……。せやな。裸で、若い女が四つん這いでうろうろしてたら、後ろから見たら全部丸見えになる道理や……。
 それがな、ほっほっほ、残念でした。オムツ、履いてましたんや。こんな体や、おトイレも難儀やろし……、て、ちょっとちょっと。なんや先生、そんな残念そうな顔せんでもええがな。
 そうや、実はな、そのオムツが重要なわけや。つまりな、ちゃんと世話してやっとる人がおるいうことや。残酷な監禁とか、猟奇犯罪とか、そんな雰囲気やないわけや。部屋の中も清潔やったしね。

 まあ、そんなこんなで、私、夢中になって見てました。これを見に、汗をかきかき半日かけて、そんなとこまで行ったんやもん。まあこれは実際、見ものでしたで……。
 その見た目のグロテスクさ、な。しかも頭もおかしいらしい。陰惨極まりない、凄い迫力や。そやけどな、なんかその人、楽しそうなんや。常に笑うて、はしゃいで、盛んに動き回って。そんなんが、五体満足やったら結構な美人さんに違いない、そんで、丸裸や。エロチックの極みや。そういうチグハグさ、いうんかな、まあ率直に言って、これまでの取材旅行でも見たことない、信じられんような光景や。映像でも、映画でも、こんなん見たことない。

 そうしてましたらな、夢中になり過ぎましてな、身を隠すのを怠ったんですな、そこの家の人に、私、見つかってしまいました。
「ちょっと、あんた」かなんか、声かけられましてなあ……。ギクッとして振り向いたら、そこに、いかにも農家のおばちゃん、いう感じの人が立っとる。食事の乗ったお盆持ってな。この部屋に、食事運んできたとこやったんや。

 まあな、こうなったら、これもいつものことや。お分りですやろ。登山者です、山歩きの途中です、村があったから、水を分けてもらえんかとフラフラ入って来ましてん、そしたらこの建物から声が聞こえて……。信じてもらえんでもええから、喋りまくって。シラを切り通すんや。
 ところがね、そのおばちゃん、日に焼けてコロコロ太った、いかにも人の良さそうな人やったがな。私が何言うても、ふーん、そうですか、はあ、そうですか。ちょっと無理があるやろ、いうて自分でも思うとったのに、私が何言うても、興味無さそうに相槌打つばっかり。もしかしてこのおばちゃんの方も、頭ちょっと弱いんちゃうか、思いましたね。私も拍子抜けして、喋るん、止めました。
 そのおばちゃん、庭の水道の場所だけは教えてくれましてね、こういう時のために用意した空の水筒に、私一人で水汲みましてん。
 結局、そもそもこの人、私に関心を示さんのやね。つまり隠す気もないし、やましいことは何も無い、いう雰囲気や。そのうち、私なんて放っておいて、小屋の中に入って、家畜の世話でもするみたいに……、ああ、あかんあかん、家畜やなんていうたらさすがに人豚さんに失礼や。人豚さんの世話始めてな、ちゃんとスプーンでご飯食べさしてましたで。そやけど、なんか扱いがぞんざいでな。病人の介護、いうよりは、なんか、動物の世話みたいなんやな。そのおばちゃんが大雑把な性格なだけかもしらんけど。
 いや、ほんま、言い訳がましいけどな、その人豚さんも、動物みたいなんやがな。エサ、ああ、いやいや、食事の匂いに喜んでな、食べ方も汚いし、食べながらも笑てるし、何か意味分からんこと呟いてるし。
 え、私? また、窓から中、見てましてん。ほんまやって。せやから、そのおばちゃんが、全く咎め立てする感じやないんですもん。しまいには、窓越しに話もしましてんで。ええ、もちろん、人豚さんやない、そっちは話できへんからな。おばちゃんと、呑気に話、しましてん。ほんまやって。ここで嘘言うてどないするの。
「大変ですなあ。ご家族ですのん?」
「ええ、まあ」
「ずっとお世話されてますの?」
「この子、自分でやりまして」
「ええ? 何を、自分で?」
「この、手と、足」
「ええ、ほんまでっか?」
「難儀なことです」
 こんな感じや。会話も噛み合わへんのやけど、訊いてないことまでこのおばちゃん喋りおる。どうでもええ事のようにな、天気の話でもするみたいに。そんで、当の人豚さんは、その最中も、キーキーキャーキャー、うるそうてな……。

 さすがに図々しい私も、これ以上おばちゃんから話聞き出すのは無理や。さてどうしよ、思うて空なんぞ見上げてたら、中からおばちゃん出てきて、私なんかおらんもんのように、母屋の方に帰っていく。私も、もう散々見たし、一旦車に帰るか、思いましたんや。
 そしたらな……。
 おばちゃん出てった途端、辺りがシーンと静かになったんや。なんでやろ、ああそうや、これまではずっと絶えず、人豚さんの奇声が聞こえとったんや。
 そんでな、声の代わりに、ザリッ……、ザリッ……、って不気味な音が……。
 何やろなー思うて、もう一回、窓から中、覗きましたがな。そりゃ先生、あんたでも、見ますでしょ。
 そしたら、右手や。人豚さんの、途中から無い、右手。それをな、うん、肘やないんです。切り口や。切断面や。それを、壁に押し当ててる。そんで、力いっぱい、体重かけて、こすってる。
 そのうち、すぐに、血が出てきます。結構いっぱい出てくる。太い血管もあるからねえ。そしたらな、今度は、グイグイ手を動かして、壁の低い所に、大きな字を書きますの。

   タ  ス  ケ  テ

 いうてね。私、目を疑いましたがな。それ書き終わったら、さっきよりもっともっと興奮してな、ギャアアアいうて、走り回って……。いや、私やないて。人豚さんが、やがな。私の方は、もう、固まってしもて、おしっこちびりそうになってますがな……。

 それからすぐにな、おばちゃんがな。濡れタオル持って、また小屋に戻ってきましたわ。変わらん、呑気な感じでな。私はもう、逃げ出そか、どうしよか、パニックや。
 おばちゃん、小屋に入ります。「あれまあ、汚して」それだけ言うて、多分体拭いてやるつもりで持ってきた濡れタオルで、血の付いた床を拭く、そんで、壁の血文字も、何も読まんとサッと拭き取ってしもた。
 私の声、滅茶苦茶震えてましてんで。そやけど、おばちゃん、それも全然気にせんの。演技やったら、えらいもんや。
「……、あの……、今そこに、壁に、文字……」
 おばちゃん、意味分からん、いう顔してる。
「せやから! 今! 字ぃ!」
 もうちょっとで、私が読んだその言葉、言いそうになりました。……けど、言えるわけ、あらしません。怖すぎますがな。
「汚したから、拭きましたが」
 おばちゃん、それだけ言うと、また私を無視し始める。人豚さんは、なんでやろな? 字ぃ書けるのに、言葉喋れんいうのは、なんでやろ? 自分でやったのに、痛がって泣いて、傷口舐めたりしてますねん。

 そのうち私もな、字ぃのように見えたんが、見間違いやったんやろか、いや、そんなわけない、おばちゃんかて気づいてた、絶対見てた、いや、せやろか? どうやったやろ? ゆうて、もう頭混乱してきてな。混乱しながら、気がついたら、できるだけ音立てんように、全力疾走してましたわ……。車の近くまで来てもな、先回りされてパンクさせられてるんちゃうか、思うて、泣きそうでした。
 そんなことものうて、無事こっち帰って来てからもな、何日も何日も、魘(うな)されましたわ。鎌持ったおばちゃんやら村人に追いかけ回される夢や。そんで夢の中、ずっとあの、人豚さんの奇声が響いてますのんや……。

 ええ? 何ですか先生? 助けに行かな、あかんやろ、やて???
 はぁ?
 そら、仰ることは、もっともですがな、けど先生、あんた、おっぱい見たいだけですやろ?
 私は、勘弁願います。ほんま、勘弁してください。先生の頼みや、ゆうたって、無理なもんは無理です。人豚さんに、タスケテ言われたって、惨(むご)いようやけど、無理。面白がってここまで喋ったんも、逃げ切ったからや。二度と行けるわけありませんがな……。
 ええ。たしかに、私は村の人に、何もされてません。けどな、あん時は、ほんま怖かった。死ぬ思うた。両手両足斬られて飼い殺しにされるんちゃうか、いうて。もう一回行ったら、今度こそ確実に殺される、それぐらいに、今でも思うてますがな。
 ……ええ、場所やら行き方は、いくらでも詳しくお教えしますで。せやけどなあ、私が帰ってからすぐ、人豚さん、隠された思うけどなあ、全然違う場所に。……うーん、いや、どうやろ。案外あの人豚さん、今日も同(おんな)じあの小屋で、同じように暮らしとるんかも、しれませんなあ……。

 

(2014年 7月)