大きな声を

 

 

 なぜあの日のことを今頃になって思い出すのかという謎は、まったく別の謎にすり替わってしまった。よくあることだ。そして何もかも、結局分らずじまいになりそうだ。それだって、よくあることにすぎないわけだ。 

 私は今、頭を抱え、自宅マンションの床に丸まっている。孤独の底、内面の地獄の底でもがき苦しんでいる。はたから見たら、どのように見えるだろう。ただの急病人にしか見えないだろうか。だが私は病気ではない、おそらく。 

 

 ふと顔を上げると、傍らに救急隊員が立っている。なぜ私がこのような状態にあると分かったのだろう? これは私にとってのごくプライベートな責め苦であって、隣人が察知する類の騒ぎではないはずだが。 

 おや、なぜ救急隊員は私の口を塞ごうとするのだろう? この声は私の声ではないのに。この声は、私にしか聞こえないはずなのに……。 

 

* 

 

 もう十年近くも前、社会に出たばかりで多忙極まりなかった。仕事上のストレスも溜まっていたのだと思う。当時の恋人の郁美は付き合い始めて半年ほどの、とてもおとなしく物腰の柔らかい女性だった。 

 一度たりとも私に対して喧嘩腰になったことはなかった。だから私は油断し、増長し、知らぬうちに郁美を侮っていたのだ。 

 そもそも、あの時のあの場面だけが鮮明で、そこに至る経緯ははっきりしない。旅行に行く行かないの言い争いだったような気もするし、私が職場の付き合いで合コンに参加するとかいう話だったかもしれない。いろんなエピソードが交じり合って、どれがあのきっかけとなったのか、もはや忘れてしまった。 

 場所が喫茶店なのかレストランなのかさえ分からない。はっきりした記憶は、向かいの席の郁美の顔から始まる。悔しそうな、何か言いたそうな、泣く寸前のような表情。郁美は会話を拒絶し、俯き加減で完全に沈黙してしまった。その少し前から私の声は苛つき怒気を含んでいたと思う。 

「なあ郁美、どうしたいんだよ」 

「……」 

「黙ってたんじゃ分かんないよ!」 

 その時だった。郁美の強い表情を初めて見た。真っ直ぐ私の目を見て郁美は言い切った。 

「大きな声を出さないで!」 

 私は威圧されてビクリとした。 

 

 これで私の記憶は途絶えている。そう、ほんの数十秒、僅かの会話と、郁美のあの表情が、この記憶のすべてなのである。

 この後私は謝ったのだろうか、さらに捲し立てたか、それともどちらかあるいは双方が席を立ったか。何も憶えていない。郁美のあの言葉と口調、それにあの表情以外は。

 そうだ。私は郁美とあれっきり別れたのだ。郁美があれ以降逢ってくれなくなったのだと思う。あの後はおそらく電話で数度話しただけで、最後は私から電話をして「俺たち、別れた方がいいみたいだね」と言った。郁美が「うん」と答えてそれっきりになった。これぐらいはさすがに憶えている。

 

 

 正直に言えば、郁美のあの時の、一度きりの、毅然とした顔は本当にショックだった。別れの悲しみや悔恨と共に、しばらくはあのシーンが心に強く焼き付いてしまって、ことあるごとにそのフラッシュバックに苦しめられていた。

 だがそれも昔のことだ。とうの昔に忘れていたと思っていたのに。

 

 つい先日のことだ。夜道を家に向かって歩いている時、脈絡なく、本当に脈絡なく、例のシーンが脳裡に蘇った。

 いや、シーンを思い出したのではない。おそらく最初に「大きな声を出さないで!」という声が、記憶の底から浮上したのだろう。

 それからは堰を切ったように頻繁に、仕事中ふと息を抜いた瞬間、食事の時、風呂に入っている時、一日に何度となく郁美の声が、あの顔と一緒に蘇ってくる。

 疲れているんだな、と思った。

 

 一般的に言って……、いや、私は心理学者でも精神科医でもない。だから単なる素人の一考察にすぎないということはお許しいただきたいのだが、一般的に言って、人が自分の心に異変を感じる場合には二通りあると思う。

 自分の心の異変を感じるにしても、何かおかしいなとは思っても、その異常、私の場合だと、トラウマとなった一シーンの異常に頻繁な想起、ということになるが、それを、不随意であれ自分自身の行為だと感じられるうちはまだ大丈夫なのだと思う。神経症の症例でも、どうしても或ることが「したくなる、してしまう」、または或ることをしようとしてもどうしても「できない」と言っていられるうちは、きっとまだましなのだ。

 きっと、この自分の心の内なる出来事が、自分の仕業ではないように感じられ始めたら、相当まずいのではないだろうか。曰く、頭の中で電波を受信して誰かの声を聞かされる、何かにとり憑かれ自分が操られているようにしか感じられない、など。

 あろうことか私は、ほんの数日でこの段階に達してしまっていた。誰かが私を苦しめようと嫌がらせをしているに違いない、すでに神経が参ってしまっていた私はそう考えざるをえなくなった。

 そんな私が最初に考えたことは、愚かにも、これは郁美の呪いではないか、ということだった。郁美はあの後すぐ死んで成仏できないでいるか、現在とても不幸な状態にあって、日々私を恨んで呪いの念を送り続けている! そんなことまで本気で考えるほどに追い詰められていた。

 しかしそんな馬鹿げた妄想はじきに取り下げねばならなくなる。というのは、苦しみの底にいた私はふと、私と郁美に共通の知人がいたことを思い出したのだ。思い余って私は、その知人の女性に電話してしまった。若いころの話を振り、できるだけ何気ない風を装って、そう言えば郁美はどうしてるのかな、と尋ねた。その答えはこうだった。

「あら、誰もあなたに教えてあげてないの? 郁美だったら去年結婚したわよ。私、式出たし。旦那さんすごく年上の立派な人で、あの子ほんとに幸せそうだった」

 ああそうだったんだ、それは良かったなどと曖昧に答え、それ以上郁美の話はやめた。やはり郁美に恨まれているなど、とんだ思い上がりだったのだ。この電話の最中にも例のフラッシュバックが一度起きた。

 

 電話を切って、しみじみと、何と馬鹿げたことを考えたのだろうと反省した。それに冷静になってみれば、そもそも感覚的に、どうも呪いだとか何だとか、そういう感じでもないようなのだ。頭の外からそれはやって来るのではない。誰かが私の脳内の記憶再生スイッチを気まぐれに押している感じがするのだ。

 想起というのはきっかけを伴うことが多いはずだ。そうではなく突然脈絡なく何かを思い出すということもあるにせよ、同じ出来事の記憶ばかりが、かくも頻繁にしつこく思い出されるとなると、どうしても自分の頭を誰かにいじられている気分になる。だが、知らないうちに頭の中に電極を仕掛けられたとでもいうのか? いやいや、冗談も大概にしろ!

 しかし実際にこんなことが私に起きているのは事実である。私は自分が深刻な精神の病に罹ってしまったのではないかと恐怖した。

 

 

 その知人の女性との電話から数日、想起の頻度が今や一時間に数度にもなり、しかもその頭の中で聞こえる声がどんどん大きく、煩わしくなってきている。口調は何も変わらないのに、今やその音量は私を怒鳴りつけているかのようだ。

 少し前までは、誰かと会話している時にこの声が聞こえてきても、注意散漫になりつつも何気ない風で胡麻化すこともできた。だが今では、頭の中の郁美の声が、実際に耳から聞こえる外からの音を遮らんばかりだ。しかも本来数秒の短い言葉のはずなのに、「大きな声を出さないで! 大きな声を出さないで! 大きな声を……」と頭の中で反響するように何度も繰り返されるようになってしまった。コンビニで買い物をするのすら困難になっていた。

「このお弁当、温めま大きな声を出さないで! 大きな声を出さないで! 大きな声をあの、お客様、どうされ大きな声を……」

 ……もう限界だった。

 

 翌日こそは精神科に相談しようと観念すると、私はつかの間やや落ち着いた気分を取り戻した。歯痛で苦しんでいた人がついに歯医者に行こうと諦めた時みたいなものだ。すると、一つの気がかりについて考え直す心の余裕が出てきた。

 私は、精神衛生上良いことなのか皆目分からないが、一つの賭けに出ることにした。郁美の声にまともに「耳」を傾けてみることを決意したのだった。

 というのは、私を苦しめるこれは本当にあの時の郁美の記憶なのか、ということがしばらく前から気になっていたからだ。共通の知人から郁美の呪い説却下の証拠を得た直後からだ。

 これは本当にあの時の郁美の記憶なのか?

 そうである以外の答えなど当然無さそうだ。だがそれならそれでいい。私を苦しめるこの声と正面から向き合うことになるだけだ。だが……。

 

 弱り果てた私の神経にとっては、とても勇気のいる決断だった。これまでは、ずっとできる限り聞こえないふり、目ならぬ耳をそむけることに必死だったのだから。しかし、私にはもはや打つ手も無く、それに私を苦しめるこの声が、もはや生々しいトラウマではなく単なる騒音のように感じられてきていたというのも大きい。医者に行くと観念したことも、私のこの決断を後押ししていた。

 「よし」と私は声を出した。そしてテレビも音楽も消して、座椅子に座り込んで神経を集中させた。

 

 来た。「大きな声を出さないで!」

 郁美の顔と共にあの声が聞こえる。しかし、郁美の顔は自然に、もちろん記憶の劣化でひどくぼやけたところまで含め自然に、目に浮かぶのだが、声はやはり何かおかしい。注意してみると、録音し再生した機械の声のように、どこか違和感がある気がするのだ。

 

 来た。「大きな声を出さないで!」

気にし始めるとやはり不自然だ。いや、郁美の声がおかしいというよりは、郁美の声以外に何かの音声が混じっているように聞こえる。

 

 来た。「お大きな声ををだ出さないでで!」

何だこれは? 注意して聞けば、確かに声がダブっている。確かに誰か、別の人が聞こえる。別の記憶と融合している? そんな馬鹿な。ではやはり誰かが「そこ」にいる? どこに? 私の頭の中に? 私の、記憶の中に?

 

 来た。「お大きな声を出さないででぇ!」

間隔が狭まっている上に頭が割れんばかりの音量だ。一回ごとに大きくなってきている。そしてそれにつれ、だんだんと郁美の声のニュアンスが失われている。二重に聞こえていた声が、今では郁美の声を消し去って、裏から表に出て来ている。似ているが、別人の女の声だ。しかもどこか生身の人間の声ではない、禍々しさを帯びた声だ。

 

 声と共に蘇る顔も、集中すると、違う。これは郁美ではない!

郁美に似ているのは輪郭だけだ。いつの間にか、それは本来のようにぼんやりとしたものではなくなっていた。死んだような眼をした、目の座った、青白い女が代わりにそこにいる。長い髪にも肌にも生気がない。そいつが、郁美の記憶の顔とすり替わっていて、思い出の郁美とは違ってとても鮮明に目にうつる。

 

 来た。「大きな声を出さないでええええ! 大きな声を出さないでええええ!」

 私は頭を抱えてのたうち回った。

「誰だよ! お前は誰なんだよ!」私も大声を上げる。だがその自分の声も押し潰さんばかりに、休みなしにフルボリュームの大声が頭の中で響き続ける。

「やめろ、やめてく大きな声を出さないでええええ! 大き黙れ、頼む、静かにし大きな声を出さないでえええ! 大きな……」

私の脳裏にその女の顔の映像が固定された。そしてそれは、顔を近づけてくるかのように徐々に大きくなってゆく。私の自力ではどうやっても消すすべはなかった。もはやずっとその顔を思い浮かべっぱなしだ。

「大きな声を……!!」「大きな声を……!!」

 女は私を見据えている。無表情で、しかししっかりとその虚ろな真っ黒な瞳で、私を見つめ続けている。声を発する際に飛ぶ唾さえ今では見える。と、女は妙に赤い長い舌を出し、艶めかしく、ペロリと自分の口角の唾の泡を舐めとった。そしてまた声を上げる。

「大きな声を出さないでええええ! 大きな声を出さないでええええ!」

 私は泣きながら、半狂乱になって絶叫する。

「やめろおお!」

「大きな声を出さないでええええ!」

「やめろおおおお! 大きな声を出さないでええええ!」

「やめろおお大きな声を出さないでええええ」

「やめろおおおきなこえをやめろおさないでええだまれええおきなこえをおお……!!」

 もはや、私が絶叫しているのか女が絶叫しているのか、自分でも全く区別がつかなくなっていた。

 

(2011年 10月)

作者コメント

この作品は、牧野修先生の『おもひで女』の下手くそな焼き直しである。

執筆当初の仮タイトルは『おおごえ女』だった。

拙い習作ということで、ご笑覧ください。